ブルーオーシャンでしか泳げない

日本とアジアで展開中のブランド「1carat」のCEO。 創業25年のデザイン会社主宰。撮る・歌う・弾く。

ダイヤモンドネイル創世記 -9-

ダイヤモンドネイル創世記 -8- からの続きです。

 

 

「ネイルを辞めます」

 

灼熱のマレーシアからの帰国から数ヶ月経った。

そのメールには衝撃的な内容が書かれていたのだ。

まさに晴天の霹靂。

あんなに一生懸命だったMs.Kim。上海でもマレーシアでも夢を語り合った。

 

一体何が起きたというのだ。

私にはまったく信じられなかった。

 

美容業界での若い女性、とりわけネイル業界では珍しくない話とは言え、彼女に限ってはとても信じることが出来ない。

 

何通かのやり取りの中で、スポンサーでもあった父親を亡くし、事業そのものが閉鎖に追い込まれたということを知った。

 

彼女の無念は幾許のものか。

そう考えると、しばらくは仕事が手につかなかった。

 

残念ながら、Ms.KImとはそれきりとなってしまった。

 

 

その時、1caratは国内での活動も活発になっていた。

西日本を拠点とする卸会社と事業提携したこともあって、全国の展示会、イベント、専門学校での説明会など、全国を行脚した。

 

毎日が走馬灯のように流れていく。

毎日何かを考えては実行し、それが本当に少しづつだが理想に近づいているような気がした。

 

Nail ExpoやBeauty World Japanには毎年ブースを出した。

ブースは毎回盛況で、ダイヤモンドネイルのライセンスを取得するネイリストの数はその時、500名を超えていたのではないだろうか。

 

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業界というものは差し詰め「丼鉢 ( どんぶりばち ) 」である。

 

業界の外からはどんぶりの「中」は見えにくい。

実はイメージするよりも遥かに小さいどんぶりなのだ。

 

そして、逆にどんぶりの「中」に入れば業界の外は見えなくなる。

とりわけネイルの世界は「技術」に走りがちだ。

だが本当に見なくてはならないのは「市場」である。

だから中にいる人達には「もっと業界の外を見ろ」と提唱してきた。

 

上に立つ人間が " 新しい物 " を認めないし、目を瞑る「悪しき風習」。

もし簡単にそれを認めれば、後から来た人間が上に立つことになってしまうという懸念から、新しい物がなかなか世に出てこないという現象は存在する。

 

「技術」が先行するこの世界では、政治と利権が無ければならないのだ。

この一種のエゴが、テクノロジーとマーケットの進化を「鈍化」させる原因になっていることは間違いない。

 

活動が広範囲になり、私自身が地方へも直接出向くことで、当初は腫れ物に触るように疎外されていた「ダイヤモンドネイル」は、業界内で徐々に認められた。

 

 

2009年5月のBeauty World。

ブースを訪れた、ひとりの韓国人女性と提携の話が進んだ。

そして2009年10月、韓国のソウル市江南区(カンナムグ) 清潭洞(チョンダンドン) で1carat KOREAをプレオープンさせた。

あっという間の出来事だったが、韓流ブームも来ていたし流れは良い方向に進んでいると感じた。

 

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<ダイヤモンドネイル創世記 -10- へ つづく>

 

それじゃあ、また。

 

エーゲ海の真珠

私が幼少の頃にレコードで聴いていたのはロックだけではなく、

カラベリやパーシー・フェイスなどが映画音楽を奏でた、

いわゆるサントラ盤ではないカバーチューンだった。

 

このブログのタイトルに掲げた「エーゲ海の真珠」は1970年リリース。

言わずと知れたポール・モーリアの名曲中の一曲だ。

 

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ポール・モーリアには数え切れないほどの名曲があるが、

とりわけこの曲は私の中の " ベスト・ポール・モーリア " である。

 

ピアノとブラス+ストリングス隊にスキャットが自然に融合する。

優雅なメロディなのに身体が揺り動かされるのは、

土台を導く、古きゆかしき " ランニングベース " と

やたら煽りまくる " ドラミング " のせいだろう。

こういうおかずの入れ方は今どきしないと思うが、

ドラムの醍醐味は、タムとハイハットを絡めた " オカズ " に尽きる。

 

特に後半のリピート部はもっともっと繰り返して欲しくなってしまう。

そしてヴァーチャルタクトを振り回す自分に酔う。

 

今聴いても、そのアレンジに心が震えてしまうのだ。

 


Paul Mauriat _ エーゲ海の真珠 _ Penelope _ ポール・モーリア・グランド・オーケストラ

 

う〜ん。ABBAのダンシング・クイーンばりに何度聴いても飽きない。

さて、あなたのベストポール・モーリアは何だろうか?

 


それじゃあ、また。 

光と影

香港が好きだ。

歴史と文化、もう戻れない過去の遺産に憧れている。

 

何藩Fan Ho ) という写真家を知ったとき、唖然とした。

会ってみたいとも思った。

 

「光と影の刹那を切り取る」という手法が、どことなくエドワード・ホッパーに似ていたからだ。

 

1950年代の香港の息遣いそのものが、生々しく映し出されている。

 

Fan Ho のどの作品を観ても、自分がそこにタイムスリップしたような、ノスタルジックな気分になる。

 

自分のオリジンと向かい合えた、そんな気持ちにさせてくれるのだ。

 

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"Approaching Shadow" by Ho, 1954

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www.fanhophotography.com

 

残念なのは、Fan Hoはもうこの世にいないことだ。

 

それじゃあ、また。

中島美嘉ちゃん、2018ツアー情報

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中島美嘉ちゃんの2018上半期のツアーが、ついに発表されました。


今回も「1carat ダイヤモンドマイクロフォン」で歌ってくれます。

 

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本ツアーは、前回のバンドスタイルから一変、ピアノとベースのアコースティックバージョン。
小さな会場でのプレミアム開催なので、美嘉ちゃんを間近で観れるチャンスですよ。

 

先行予約はこちら

中島美嘉オフィシャルファンクラブ「Lotus」

 

 

ツアーメンバーは、高校からのバンドメイトである、河野伸がピアノ。

河野 伸 official website

 

素晴らしいテクニックのベーシスト、海老沼崇史さんとの3名編成です。

 

この二人は、またまた高校からの友人であり、バンドメイトでもある " 石倉光山 " のユニット「光山組」のメンバーでもあり、とても縁を感じます。

 

光山組ホームページはこちら

光山組/KOZANGUMI - 光山組 KOZANGUMI


 
中島美嘉プレミアムライブツアー2018 
■ ツアースケジュール
 
<福 岡> 4月28日(土)・29日(日) スカラエスパシオ 
<東 京> 5月  7日(月) サントリーホール ブルーローズ 
<神奈川> 5月12日(土) 神奈川県民ホール 小ホール
<東 京> 5月23日(水) サントリーホール ブルーローズ 
<埼 玉> 6月  1日(金) 所沢市民文化センター ミューズ キューブホール(小ホール) 
<愛 知> 6月13日(水) ダイアモンドホール 
<大 阪> 6月28日(木)・29日(金) ザ・フェニックスホール
<広 島> 7月  1日(日) BLUE LIVE HIROSHIMA 
<東 京> 7月  6日(金) サントリーホール ブルーローズ

 

 

 

それじゃあ、また。

 

あの時、ベイクドポテトで。

彼は悩んでいた。

自分がミュージシャンであることに、某かの疑心を持ち始めていたのだ。

 

彼とはロサンゼルスの「Baked Poteto ( ベイクド・ポテト ) 」という超有名なライブハウスの前で初めて会った。

" 赤いジャジャ馬 " に乗って颯爽と現れ、彼は乗馬用のブーツを履いていた。

 

フェラーリだから乗馬用のブーツを履いているのか?

とは最後まで聞けなかったが、きっとそうだったのだろう。

 

彼の名は " Jonathan Moffett ( ジョナサン・モフェット ) " 。

 

言わずと知れたマイケル・ジャクソンの専属ドラマーである。

マドンナなんかとも演ってるという。まーどんな?

 

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私は彼を知らなかったが、CANOPUSのマネージャーだと説明すると、まるで久しぶりに会った友人のように、人懐っこい笑顔で " ハグ " してくれた。

 

ロスにはNAMM SHOW (ナム・ショー : 世界有数の楽器フェア) に出展するために来た。

社長がジョナサンと「Jeff Porcaro ( ジェフ・ポーカロ ) バンド」を観に行くというので、同行した時の話だ。

 

生憎、ポーカロはレコーディングか何かで不参加だと、来て早々に知った。

間近で観れるチャンスなんてそうそうないのに・・・。

楽しみにしていただけに相当ショックだったが、ジョナサンも凄く落胆していた。

 

1991年1月。Jeff Porcaroが亡くなる前の年のことだった。

 

ポーカロは自分のアイドルだった。

ドラマーでなくともポーカロを崇める音楽好きは多い。

 

松田聖子に曲を書いてポーカロに叩いてもらうんだぁ」

当時そんな事を良く言っていたし、自分のユニットでもポーカロに叩いてもらうことを想定してドラムの打ち込み (コンピューターに入力すること) をしたものだ。

 

一度も会うことがなく、彼は逝ってしまったので、それは夢のまた夢に終わってしまった。

ポーカロが旅立って1年後、Jeffのお父上である偉大なパーカッショニスト、Joe Porcaroとは仕事で会うことが出来た。

思い切って「 I'm so sorry about Jeff」そう伝えた。

Jeffのお母様も来てくれて、Joeと私と3人で肩を抱き合った。

言っていいものか迷ったが、ご家族に伝えることが出来て良かったと、今、心から思う。

 

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Steve Lukather (G)

David Garfield (keyboards)

John Peña (bass)

Gregg Bissonette (Drums)

Lenny Castro (percussion)

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遠い記憶を辿ってみたが、このラインナップで間違いないはず。

今、考えてもとんでもないメンツだ。

ポーカロのエキストラで、なぜグレッグ・ビソネットが叩いていたかは不思議だったが、後にTOTOで叩いたことを知って合点がいった。

デイビッド・リー・ロスのドラマーだったこともあって「ハードロック畑」のドラマーかと思ったが、実はジャズ・フュージョン系のドラマーらしい。

 

とにかく、TOTOとKARIZMAが合体したようなユニットを、1mくらいの至近距離で観れたのだ。

とにかく凄かった。

音楽をやっています、なんて言うのが恥ずかしいくらい凄かった。

 

 

インターバルの時、トイレで Steve Lukather にばったり出くわした。

「Hi I'm Steve Lukather

もちろん知ってるよ。ファンだしね。

お前、ギター弾くのかと聞かれたので、YES 高須クリニック と答えた。

 

これは、用を足しながらの会話だ。

 

「ちょっと来いよ」

ルカサーに手を引かれたので、マズイ・・・あっち系だっけ?とパニクった。

何しろトイレの中の話だ。なにがあっても不思議ではない。

いやいや。何かあっては困る。でもルカサーだしな。

 

ルカサーはどんどん私を引っ張っていく。

どこに行くんだ。何をされるんだ。

なんて思っていると、いつの間にか私はステージに上げられていた。

ステージと言っても、小さいライブハウスのステージ。

緊張はしなかったが、お客さんは目の前でこの光景を観ていた。

 

弾いてみろよ。

ロボットの絵が描いてあるVally Artsを持たされた。

良く雑誌とかで見るトレードマークのあのギターだった。

 

これこれ↓

Awin Urustim Music - Studio Gear - Guitars - Valley Arts Custom Robot - M001

 

もう " 弾く " しかないだろ・・・。

ありったけの、取って置きの、日本人ならではの「フレーズ」を弾きまくった。

ちょっとオリエンタルな感じのね。

 

その時、誰かが " やるじゃん" 的なニュアンスで口笛を吹いた。

紫色の「ロサンゼルス・レイカーズ」のサテンジャケットを着た、ジョン・ペーニャだった。

 

ジョン・ペーニャも「スーパー」が付く、素晴らしいベースプレイヤー。

ファーストステージでも超カッコ良かった。ルックスも良い。

日本であまり知名度がないのが不思議なくらいだ。

 

ルカサーは自分のエフェクトボードを指差し、「ここ踏め、踏んでみろ」と促した。

デジタルで表示される部分は、どこを踏もうと「P◯ssy」と表示される。

 

全部P◯ssyじゃん。と言うとルカサーは、ビールを飲みながら大笑いした。

最高だろ?どの音もP◯ssyなんだぜ。

いやいや、そういう意味で付いてるんじゃないでしょ、この機能は(笑)

 

ジョン・ペーニャは、こいつすげーP◯ssyが好きなんだ。

というと私もみんなも爆笑した。

 

いわゆるただのボーイズワールドだ。

 

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セカンドステージも最高だった。

その余韻の中で、ジョナサンは訥々と私達に話し始めた。

 

「俺も音楽をやりたいよ。」

えー、充分マイケル・ジャクソンとかと演ってるでしょ?

「いや、そういうのじゃないんだ。今日聞いたのが音楽だ。」

 

彼は、マイケルをどんなに尊敬しているか、どれだけ自分が恵まれているかを話してくれたが、どうやらインプロビゼーション的な、予定調和のない音楽をプレイしたかったのだ。

 

マイケルがステージのセリからジャンプして出てくるだろ。

その時は必ずこう叩く。1年中いつも、そう叩く。

これは音楽なのか?

そう悲しそうに言うのだ。

じゃあ俺が代わりにやるからマイケルを紹介してよ。

 

そんな彼の " 贅沢 " な悩みを聞きながら、LAの夜は更けていった。

 

帰りがけ、「社長」は前歯を全体的に矯正している女の人から、Post it が折り畳まれたくらいの大きさの " メモ " を受け取った。

 

「夜を楽しみましょう」と辿々しい日本語で書いてあった。

ジョナサンも私も笑った。

どうします社長? 今夜は探しませんよ。

 

振り向くと、その女性の矯正している部分がピカピカと輝いていた。

ああ、なんて素敵なロサンゼルスの夜なんだ。

 

あれから、もう27年。

マイケル・ジャクソンの急死を受けて作られたドキュメンタリー「This is it」を観た。

そこには元気に語るジョナサンが映っていた。

あの時より貫禄が増したように見える。

なにかこう、ほっこりと嬉しい気持ちになった。

 

そしてふと、「あの夜のこと」を思い出したのである。

 

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それじゃあ、また。

 

 

ダイヤモンドネイル創世記 -8-

ダイヤモンドネイル創世記 -7- からの続きです。
 

悩みに悩んだ四谷三丁目のアンテナサロンのオープンから3年半経った、2008年8月。

 

予てから「ポプラ」というCVS本部からお声がけいただいていた、

「コラボレーションサロン」 を実現させた。

 

コンビニエンスストアも変革の時期を迎えていた頃。

ただ物を売る場所ではなく、お客様のニーズに応えるための新しい業態を目指していたのだ。

 

メーカーからのダイレクトな情報発信や、美容関連企業との広告タイアップも兼ね備えたコンセプタブルなコンビニ。

そのストア内に設置された、ネイルサロンとなった。

 

実はオープンまではスムースに来たわけではなく、大手美容チェーンと大手蜂蜜会社との3社コンペで争われたのだった。

 

しかし、私には勝つための「秘訣」があった。

これはまた別の機会にお話しようと思うが、このテクニック、皆さんにも近い将来に公開したいと思っている。

 

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赤坂・一ツ木通り路面店という、素晴らしい立地条件。

昭和50年代に大ヒットした、あの曲で歌われる「いつもの一ツ木通り♫」だ。

 

サロンを2店舗運営するということは、スタッフの数も増え、管理もそれだけ大変になる。家賃も高いから大変だ。

しかし、赤坂という立地面や、CVSとのコラボレーションは「ダイヤモンドネイル」という特殊なサービスを行う上で、それを「発展」させる絶好のチャンスだと捉えたのだ。

 

赤坂は四谷三丁目からそれほど遠くないこともあって、管理は思ったほど大変ではなかったし、新しい場所はやはり刺激的だ。韓国料理の旨い店もたくさんある。

 

新規のお客様は、土地柄なのか政界に関わる方も多く、「Yahooのキーワード検索」での広告もうまく作用して、売上も驚くほど上がったのだ。

顧客単価は、あっという間に本店の記録を大幅に塗り替えた。

 

それだけではない。

「グローバルブランド物の靴」など、びっくりするような手土産も日常茶飯事だった。

私はもらっていませんが。

赤坂バブル・・・。

あの現象は一体何だったんだろうと、今でも考えることがある。

 

 

時を同じくして、エデュケーターになったばかりのMs. Kimはマレーシアで動いていた。

マレーシアで年に一度開催される「Beauty 8」という美容の展示会を、1caratのためにセッティングしてくれていたのだ。

 

せっかくマレー半島へ行くのだからと、すでに1caratの導入をしていたMs.Serene ( セリーン ) がいる「星の国」シンガポールへ出かけた。

Sereneには、Beauty8に一緒に行かないかと事前に誘っていたのだ。

 

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シンガポールは初めてだった。

Ms. Sereneの経営する「 esBoudoir ( エスボドワール ) 」 は、シンガポールの中心地に3店舗あるのだが、最も人気のあるショッピングモール「Vivo City (ビーボシティ) 」内のサロンを見学した。

人気のリゾートエリア「セントーサ島」の入り口にあるので、とても便利な立地だ。

ついでにセントーサGCでゴルフもやったぜ。

 

マリーナ・ベイ・サンズもまだ建設中だった、あの時。

他にもいたるところに開発地区が見受けられ、さらに洗練された観光地を目指しているこの国のパワーが「羨ましく」感じたのは、今でも覚えている。

俺も「星の国」で仕事したいぞ。

 

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Sereneに飛行機で行くのかと尋ねたら「バス」だと言う。

えーバスぅ〜。

結局、掛かる時間が同じだから「バス」のほうが楽だと言うのだ。

 

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「Map data ©2015 Google

 

なるほど。

「ビジネスコーチ」というファーストクラス的な " リムジンバス " の旅はとても快適だった。

シートをフルフラットに出来るので、居眠りしている間に着いてしまった。

4時間があっと言う間だ。

 

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マレーシアも初めて訪れた国。

ジャングルとオランウータンのイメージだったが、クアラルンプールは大都会だ。

しかし、暑い。

シンガポールのSereneですら、バスから降りて1言。「あっつ…」(笑)

 

ホテルの人に、今日はまた暑いですねぇと言ったら、

「はい?1年中30℃以上ですが?」と言われた。

 

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マレーシアのMs.Kim、シンガポールのMs.Serene、そして日向が久々の対面。

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ネイルデーのメインの1つでもある「ビジネスセミナー」。

ダイヤモンドネイル導入に興味のあるサロンオーナー達が集まった。

 

今回初の試みとなるので、Ms.Kimも若干ナーバスな感じ。

自国だからこそのプレッシャーなのか、上海ではすごく堂々としていただけに意外だった。

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無事セミナーも終わり、いよいよメインイベントでもある「スーパーデモ」が始まった。

このスーパーデモは海外の一流デモンストレーターがネイルテクニックをステージ上で披露するというBeauty8でも目玉のステージ。世界のテクニックを見ようと大勢集まっていた。

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このスーパーデモの面白かったところは、インタビュアーがデモンストレーターの各テーブルを回り、いろいろな質問を投げかけるという点。
本物のダイヤモンドネイルには驚いていたが、モデルに「終わったら逃げて山分けしよう」的なベタなギャグをかましていた。

 

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モデルとなってくれたのは、マレーシアのモデル・女優・歌手のCandy Lim Ping Ping(林冰冰)
性格も明るくて人気があるのがわかる。

Facebookを見る限りだが、今でもバリバリ活躍しているようだ。

 

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TATZ&NAILSのスタッフとの記念写真。


あの時、アジアは1つだった。

心で分かり合える人達と仕事ができたことは、今でも良い想い出だ。

私がダイヤモンドネイルを通じて進んできた道は、いつも険しかった。

だが、必ず誰かが優しく迎えてくれた。

捨てる神あれば拾う神あり。

 

その事は一生忘れないだろう。

 

<ダイヤモンドネイル創世記 -9- へ つづく>

 

それじゃあ、また。

 

ありがとう

私には幼少期から「尊敬」している人物がいる。

 

体よく「両親だ」と言いたいところだが、実はそうではない。

その人は「おじちゃん」。

私の母の弟だ。

 

父方の兄弟や配偶者、親戚などにも「おじちゃん」と呼ばれる人は何人もいるのだが、母の弟は自分にとって「ヒーロー」だった。

 

幼い頃っていうのは、どうしても「同じ年のいとこ」が自分の直近となるので、「◯◯ちゃんのお父さん」という呼び方になる。

 

そう長い間呼んできたのだが、この歳になって「◯◯ちゃんのお父さん」って呼び方もどうかと思うので、最近になってからは、下の名前に「おじちゃん」をつけて呼ぶことにしている。

 

まだ日本に「モラル」とか「マナー」とか、そういう「他人に気を使いましょう」的な風潮がなかった時代。

私がまだ小学校2、3年生の頃の話だ。

 

私達は、座席が程よく埋まっている電車に乗っていた。

どこに移動していたかは忘れてしまったのだが、ひとりの「おばあさん」が車両を移動しながらゆっくりと歩いていた。

別段、変わった光景ではないし、もし今の時代だったとしても誰もそれを気にも留めないような状況だった。

 

おじちゃんは、すくっと席を立った。

次の駅はまだ先のはずだし、電車はまだ普通の速度で走っている。

どこにいくんだろう。と、みんな一瞬思ったはずだ。

 

すると、おじちゃんは「通り過ぎたおばあさん」のところへ行き、呼び止めた。

おばあさんの手を引きながら戻ってくると、「どうぞお座りください」と先程まで自分が座っていた席へ丁寧に導いた。

 

おばあさんは「原ひさ子」さんのような笑顔で「ありがとう」と言うと、ニコニコと座った。

おじちゃんもうれしそうに笑っていた。

 

しかし、私は妙に恥ずかしかった。

こんな優しいおじちゃんは立っているのに、「ガキ」の自分は堂々と座っている。

この状況に違和感を覚えていたのだ。

しかし何も言えず、とにかく時の過ぎるのをじっと耐えた。

 

半世紀以上も生きてきて、未だにこの辛かった事は忘れられない。

 

自分は長い間、「人に親切をしたり」「人に感謝を伝えたり」、自分の内面を素直に表現することが恥ずかしかった。

恥ずかしいから出来ない。

なぜ、何が、恥ずかしいのかもわからない。

 

思い返せば、おじちゃんは、ずっと人に親切をしていた。

そして、そうさせてもらったことに「ありがとう」と言っていた。

先日のじいちゃんの七回忌でも「お墓」にありがとうと言っていた。

集まった親族にもひとりひとり「ありがとう」と言っていた。

 

だからすごく尊敬していたのだ。

 

 

先日、自分が今後「生きていくテーマ」について、話す機会があった。

ワークフローとかそんなことではなく、今後の自分の人生にとって「ひとつ」だけ " キーワード " を出すという機会があったのだ。

 

そこで自分が出した答えは「ありがとう」だった。

 

それは自分が長い間口に出してきた「ありがとう」は、本当の「ありがとう」ではないような気がしていたからだ。

ただの上っ面のありがとうだ。

センキュー、みたいな。

 

今までの自分に、まったく足りていない「何かに、誰かに感謝する気持ち」。

ジジイになってしまった今、とても「おじちゃん」の域には追いつかないかもしれないが、心の底から人や物に「感謝」ができる人間になりたい。

 

おじちゃんは、立正佼成会で教会長を3教会も勤め上げて、それを引退した。

現在は、100名近い「傾聴ボランティア団体」の代表をしている。

 

まだ私のヒーローは近くで生きている。

今、その事に深く感謝したいと思う。

 

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それじゃあ、また。