< ダイヤモンドネイル創世記 -1- からの続きです。上記リンクより - 1 - へ >
クリーニング用のリムーバーは「揮発しない成分」の溶液が条件となった。
それ相応の時間、浸け置きするには「揮発」しては意味がないからだ。
そしてダイヤを入れるケースは「ガラス製」。
実は、見た目のイメージよりもダイヤモンドは " 軽い " 。
1カラット分で、なんと「0.2g」しかないのだ。
なので「重さ」としても " ある意味の高級感 " を与えたかった。
ダイヤを受け取った際に「軽っ!」と感じては、そのものの価値も軽く感じる。
人間の心理とはそういうものだ。
ブランド名は紆余曲折あったが「 1carat ( ワンカラット ) 」に落ち着いた。
女性の「憧れ」の対象であるダイヤモンドの重さを表す単位である「carat ( カラット )」を含ませたブランド名にしたかったからだ。
当時はいわゆる「デザイン会社」だったし、オフィスも会社然としていたので「サロン」をオープンして、ユーザーにサービスするという発想はまったくなかった。
商品としてデパートなどに置いてもらい、ダイヤモンドはユーザーが自らセットするという、どちらかというと化粧品ブランド的な位置づけだったのだ。
当時、ネイルアートは女性が自分で嗜む ( たしなむ ) もの。
それ故の発想で商品を開発した。
まず、1carat分のダイヤモンドを入れたパッケージを製品化した。
1カラット分の0.003ct が300石入った「grande ( グランデ )」というネーミングのキットだ。やっぱりイタリア語なのね (笑)。
トップコートと高級感のあるフェイクファーのケースに入ったセットの価格は、当時230,000円とかなり高額であった。
「ネイル界のロールス・ロイス」
この " 位置 " を目指したのだが、広告宣伝をネイル雑誌だけにしていたことで残念ながら販売数は伸び悩んだ。
正直、迷走していた。
何が正解なのかは知る術 ( すべ ) もない。
これに慌てた私は、サイズダウンした「baby one」を急遽ラインナップ。
これを機に本格的に取扱店舗を探し、程なく「SONY PLAZA」と「東急ハンズ」が取扱店舗として名乗りを上げたのだ。
0.003ctのダイヤモンドが「20石」入ったこのシリーズは・・・
爆発的に売れた。
国内のみならず、メールだけでの営業で「香港」「オランダ」「エストニア」「スロベニア」などヨーロッパへの輸出も行ったのだ。
そして日経MJに掲載されたことをきっかけに、様々な雑誌にも掲載されるようになった。
伝説の雑誌、あの " ニキータ " に、baby one を1ページまるまる掲載していただいた。本文はさすがの過激路線。さすがの切り口にはただただ関心するばかり。
漫画にも登場したことがある。
漫画家の「あやせ理子」さんには、わざわざ取材にも来て頂いた。
「爪が伸びたらダイヤは捨てる」と思う人もいた (笑)
これは美化された私 (笑) どうも・・・餅月です。
ハムの人ダイヤモンドネイルの人です (笑) キラッ☆。
ええ。ネイルには本物じゃないとね。
スペック完璧!
「王様のブランチ」や「おはよう朝日です」「めざましTV」「ミヤネヤ」、「NHKのニュース」や「地方局の情報番組」など、数え切れないくらいのテレビ番組で放映。
ラジオでは、憧れの「吉田照美のやる気MANMAN」( 文化放送 ) で紹介された。
実は、小俣雅子のファンだったのだ ( 笑 )。
そして、これから更に忙しくなる気配を感じたのだが・・・・・。
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それじゃあ、また。