ダイヤモンドネイル創世記 -7- からの続きです。
悩みに悩んだ四谷三丁目のアンテナサロンのオープンから3年半経った、2008年8月。
予てから「ポプラ」というCVS本部からお声がけいただいていた、
「コラボレーションサロン」 を実現させた。
コンビニエンスストアも変革の時期を迎えていた頃。
ただ物を売る場所ではなく、お客様のニーズに応えるための新しい業態を目指していたのだ。
メーカーからのダイレクトな情報発信や、美容関連企業との広告タイアップも兼ね備えたコンセプタブルなコンビニ。
そのストア内に設置された、ネイルサロンとなった。
実はオープンまではスムースに来たわけではなく、大手美容チェーンと大手蜂蜜会社との3社コンペで争われたのだった。
しかし、私には勝つための「秘訣」があった。
これはまた別の機会にお話しようと思うが、このテクニック、皆さんにも近い将来に公開したいと思っている。
昭和50年代に大ヒットした、あの曲で歌われる「いつもの一ツ木通り♫」だ。
サロンを2店舗運営するということは、スタッフの数も増え、管理もそれだけ大変になる。家賃も高いから大変だ。
しかし、赤坂という立地面や、CVSとのコラボレーションは「ダイヤモンドネイル」という特殊なサービスを行う上で、それを「発展」させる絶好のチャンスだと捉えたのだ。
赤坂は四谷三丁目からそれほど遠くないこともあって、管理は思ったほど大変ではなかったし、新しい場所はやはり刺激的だ。韓国料理の旨い店もたくさんある。
新規のお客様は、土地柄なのか政界に関わる方も多く、「Yahooのキーワード検索」での広告もうまく作用して、売上も驚くほど上がったのだ。
顧客単価は、あっという間に本店の記録を大幅に塗り替えた。
それだけではない。
「グローバルブランド物の靴」など、びっくりするような手土産も日常茶飯事だった。
私はもらっていませんが。
赤坂バブル・・・。
あの現象は一体何だったんだろうと、今でも考えることがある。
時を同じくして、エデュケーターになったばかりのMs. Kimはマレーシアで動いていた。
マレーシアで年に一度開催される「Beauty 8」という美容の展示会を、1caratのためにセッティングしてくれていたのだ。
せっかくマレー半島へ行くのだからと、すでに1caratの導入をしていたMs.Serene ( セリーン ) がいる「星の国」シンガポールへ出かけた。
Sereneには、Beauty8に一緒に行かないかと事前に誘っていたのだ。
シンガポールは初めてだった。
Ms. Sereneの経営する「 esBoudoir ( エスボドワール ) 」 は、シンガポールの中心地に3店舗あるのだが、最も人気のあるショッピングモール「Vivo City (ビーボシティ) 」内のサロンを見学した。
人気のリゾートエリア「セントーサ島」の入り口にあるので、とても便利な立地だ。
ついでにセントーサGCでゴルフもやったぜ。
マリーナ・ベイ・サンズもまだ建設中だった、あの時。
他にもいたるところに開発地区が見受けられ、さらに洗練された観光地を目指しているこの国のパワーが「羨ましく」感じたのは、今でも覚えている。
俺も「星の国」で仕事したいぞ。
Sereneに飛行機で行くのかと尋ねたら「バス」だと言う。
えーバスぅ〜。
結局、掛かる時間が同じだから「バス」のほうが楽だと言うのだ。
「Map data ©2015 Google」
なるほど。
「ビジネスコーチ」というファーストクラス的な " リムジンバス " の旅はとても快適だった。
シートをフルフラットに出来るので、居眠りしている間に着いてしまった。
4時間があっと言う間だ。
マレーシアも初めて訪れた国。
ジャングルとオランウータンのイメージだったが、クアラルンプールは大都会だ。
しかし、暑い。
シンガポールのSereneですら、バスから降りて1言。「あっつ…」(笑)
ホテルの人に、今日はまた暑いですねぇと言ったら、
「はい?1年中30℃以上ですが?」と言われた。
マレーシアのMs.Kim、シンガポールのMs.Serene、そして日向が久々の対面。
ネイルデーのメインの1つでもある「ビジネスセミナー」。
ダイヤモンドネイル導入に興味のあるサロンオーナー達が集まった。
今回初の試みとなるので、Ms.Kimも若干ナーバスな感じ。
自国だからこそのプレッシャーなのか、上海ではすごく堂々としていただけに意外だった。
無事セミナーも終わり、いよいよメインイベントでもある「スーパーデモ」が始まった。
このスーパーデモは海外の一流デモンストレーターがネイルテクニックをステージ上で披露するというBeauty8でも目玉のステージ。世界のテクニックを見ようと大勢集まっていた。
このスーパーデモの面白かったところは、インタビュアーがデモンストレーターの各テーブルを回り、いろいろな質問を投げかけるという点。
本物のダイヤモンドネイルには驚いていたが、モデルに「終わったら逃げて山分けしよう」的なベタなギャグをかましていた。
モデルとなってくれたのは、マレーシアのモデル・女優・歌手のCandy Lim Ping Ping(林冰冰)。
性格も明るくて人気があるのがわかる。
Facebookを見る限りだが、今でもバリバリ活躍しているようだ。
TATZ&NAILSのスタッフとの記念写真。
あの時、アジアは1つだった。
心で分かり合える人達と仕事ができたことは、今でも良い想い出だ。
私がダイヤモンドネイルを通じて進んできた道は、いつも険しかった。
だが、必ず誰かが優しく迎えてくれた。
捨てる神あれば拾う神あり。
その事は一生忘れないだろう。
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それじゃあ、また。