ブルーオーシャンでしか泳げない

日本とアジアで展開中のブランド「1carat」のCEOブログ。 時々 Mochie's Dining オーナーシェフ。歌ったり、弾いたり、料理したり。 2018年執筆活動スタート。

あの時、ベイクドポテトで。

彼は悩んでいた。

自分がミュージシャンであることに、某かの疑心を持ち始めていたのだ。

 

彼とはロサンゼルスの「Baked Poteto ( ベイクド・ポテト ) 」という超有名なライブハウスの前で初めて会った。

" 赤いジャジャ馬 " に乗って颯爽と現れ、彼は乗馬用のブーツを履いていた。

 

フェラーリだから乗馬用のブーツを履いているのか?

とは最後まで聞けなかったが、きっとそうだったのだろう。

 

彼の名は " Jonathan Moffett ( ジョナサン・モフェット ) " 。

 

言わずと知れたマイケル・ジャクソンの専属ドラマーである。

マドンナなんかとも演ってるという。まーどんな?

 

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私は彼を知らなかったが、CANOPUSのマネージャーだと説明すると、まるで久しぶりに会った友人のように、人懐っこい笑顔で " ハグ " してくれた。

 

ロスにはNAMM SHOW (ナム・ショー : 世界有数の楽器フェア) に出展するために来た。

社長がジョナサンと「Jeff Porcaro ( ジェフ・ポーカロ ) バンド」を観に行くというので、同行した時の話だ。

 

生憎、ポーカロはレコーディングか何かで不参加だと、来て早々に知った。

間近で観れるチャンスなんてそうそうないのに・・・。

楽しみにしていただけに相当ショックだったが、ジョナサンも凄く落胆していた。

 

1991年1月。Jeff Porcaroが亡くなる前の年のことだった。

 

ポーカロは自分のアイドルだった。

ドラマーでなくともポーカロを崇める音楽好きは多い。

 

松田聖子に曲を書いてポーカロに叩いてもらうんだぁ」

当時そんな事を良く言っていたし、自分のユニットでもポーカロに叩いてもらうことを想定してドラムの打ち込み (コンピューターに入力すること) をしたものだ。

 

一度も会うことがなく、彼は逝ってしまったので、それは夢のまた夢に終わってしまった。

ポーカロが旅立って1年後、Jeffのお父上である偉大なパーカッショニスト、Joe Porcaroとは仕事で会うことが出来た。

思い切って「 I'm so sorry about Jeff」そう伝えた。

Jeffのお母様も来てくれて、Joeと私と3人で肩を抱き合った。

言っていいものか迷ったが、ご家族に伝えることが出来て良かったと、今、心から思う。

 

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Steve Lukather (G)

David Garfield (keyboards)

John Peña (bass)

Gregg Bissonette (Drums)

Lenny Castro (percussion)

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遠い記憶を辿ってみたが、このラインナップで間違いないはず。

今、考えてもとんでもないメンツだ。

ポーカロのエキストラで、なぜグレッグ・ビソネットが叩いていたかは不思議だったが、後にTOTOで叩いたことを知って合点がいった。

デイビッド・リー・ロスのドラマーだったこともあって「ハードロック畑」のドラマーかと思ったが、実はジャズ・フュージョン系のドラマーらしい。

 

とにかく、TOTOとKARIZMAが合体したようなユニットを、1mくらいの至近距離で観れたのだ。

とにかく凄かった。

音楽をやっています、なんて言うのが恥ずかしいくらい凄かった。

 

 

インターバルの時、トイレで Steve Lukather にばったり出くわした。

「Hi I'm Steve Lukather

もちろん知ってるよ。ファンだしね。

お前、ギター弾くのかと聞かれたので、YES 高須クリニック と答えた。

 

これは、用を足しながらの会話だ。

 

「ちょっと来いよ」

ルカサーに手を引かれたので、マズイ・・・あっち系だっけ?とパニクった。

何しろトイレの中の話だ。なにがあっても不思議ではない。

いやいや。何かあっては困る。でもルカサーだしな。

 

ルカサーはどんどん私を引っ張っていく。

どこに行くんだ。何をされるんだ。

なんて思っていると、いつの間にか私はステージに上げられていた。

ステージと言っても、小さいライブハウスのステージ。

緊張はしなかったが、お客さんは目の前でこの光景を観ていた。

 

弾いてみろよ。

ロボットの絵が描いてあるVally Artsを持たされた。

良く雑誌とかで見るトレードマークのあのギターだった。

 

これこれ↓

Awin Urustim Music - Studio Gear - Guitars - Valley Arts Custom Robot - M001

 

もう " 弾く " しかないだろ・・・。

ありったけの、取って置きの、日本人ならではの「フレーズ」を弾きまくった。

ちょっとオリエンタルな感じのね。

 

その時、誰かが " やるじゃん" 的なニュアンスで口笛を吹いた。

紫色の「ロサンゼルス・レイカーズ」のサテンジャケットを着た、ジョン・ペーニャだった。

 

ジョン・ペーニャも「スーパー」が付く、素晴らしいベースプレイヤー。

ファーストステージでも超カッコ良かった。ルックスも良い。

日本であまり知名度がないのが不思議なくらいだ。

 

ルカサーは自分のエフェクトボードを指差し、「ここ踏め、踏んでみろ」と促した。

デジタルで表示される部分は、どこを踏もうと「P◯ssy」と表示される。

 

全部P◯ssyじゃん。と言うとルカサーは、ビールを飲みながら大笑いした。

最高だろ?どの音もP◯ssyなんだぜ。

いやいや、そういう意味で付いてるんじゃないでしょ、この機能は(笑)

 

ジョン・ペーニャは、こいつすげーP◯ssyが好きなんだ。

というと私もみんなも爆笑した。

 

いわゆるただのボーイズワールドだ。

 

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セカンドステージも最高だった。

その余韻の中で、ジョナサンは訥々と私達に話し始めた。

 

「俺も音楽をやりたいよ。」

えー、充分マイケル・ジャクソンとかと演ってるでしょ?

「いや、そういうのじゃないんだ。今日聞いたのが音楽だ。」

 

彼は、マイケルをどんなに尊敬しているか、どれだけ自分が恵まれているかを話してくれたが、どうやらインプロビゼーション的な、予定調和のない音楽をプレイしたかったのだ。

 

マイケルがステージのセリからジャンプして出てくるだろ。

その時は必ずこう叩く。1年中いつも、そう叩く。

これは音楽なのか?

そう悲しそうに言うのだ。

じゃあ俺が代わりにやるからマイケルを紹介してよ。

 

そんな彼の " 贅沢 " な悩みを聞きながら、LAの夜は更けていった。

 

帰りがけ、「社長」は前歯を全体的に矯正している女の人から、Post it が折り畳まれたくらいの大きさの " メモ " を受け取った。

 

「夜を楽しみましょう」と辿々しい日本語で書いてあった。

ジョナサンも私も笑った。

どうします社長? 今夜は探しませんよ。

 

振り向くと、その女性の矯正している部分がピカピカと輝いていた。

ああ、なんて素敵なロサンゼルスの夜なんだ。

 

あれから、もう27年。

マイケル・ジャクソンの急死を受けて作られたドキュメンタリー「This is it」を観た。

そこには元気に語るジョナサンが映っていた。

あの時より貫禄が増したように見える。

なにかこう、ほっこりと嬉しい気持ちになった。

 

そしてふと、「あの夜のこと」を思い出したのである。

 

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それじゃあ、また。

 

 

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