ダイヤモンドネイル創世記 -8- からの続きです。
「ネイルを辞めます」
灼熱のマレーシアからの帰国から数ヶ月経った。
そのメールには衝撃的な内容が書かれていたのだ。
まさに晴天の霹靂。
あんなに一生懸命だったMs.Kim。上海でもマレーシアでも夢を語り合った。
一体何が起きたというのだ。
私にはまったく信じられなかった。
美容業界での若い女性、とりわけネイル業界では珍しくない話とは言え、彼女に限ってはとても信じることが出来ない。
何通かのやり取りの中で、スポンサーでもあった父親を亡くし、事業そのものが閉鎖に追い込まれたということを知った。
彼女の無念は幾許のものか。
そう考えると、しばらくは仕事が手につかなかった。
残念ながら、Ms.KImとはそれきりとなってしまった。
その時、1caratは国内での活動も活発になっていた。
西日本を拠点とする卸会社と事業提携したこともあって、全国の展示会、イベント、専門学校での説明会など、全国を行脚した。
毎日が走馬灯のように流れていく。
毎日何かを考えては実行し、それが本当に少しづつだが理想に近づいているような気がした。
Nail ExpoやBeauty World Japanには毎年ブースを出した。
ブースは毎回盛況で、ダイヤモンドネイルのライセンスを取得するネイリストの数はその時、500名を超えていたのではないだろうか。
業界というものは差し詰め「丼鉢 ( どんぶりばち ) 」である。
業界の外からはどんぶりの「中」は見えにくい。
実はイメージするよりも遥かに小さいどんぶりなのだ。
そして、逆にどんぶりの「中」に入れば業界の外は見えなくなる。
とりわけネイルの世界は「技術」に走りがちだ。
だが本当に見なくてはならないのは「市場」である。
だから中にいる人達には「もっと業界の外を見ろ」と提唱してきた。
上に立つ人間が " 新しい物 " を認めないし、目を瞑る「悪しき風習」。
もし簡単にそれを認めれば、後から来た人間が上に立つことになってしまうという懸念から、新しい物がなかなか世に出てこないという現象は存在する。
「技術」が先行するこの世界では、政治と利権が無ければならないのだ。
この一種のエゴが、テクノロジーとマーケットの進化を「鈍化」させる原因になっていることは間違いない。
活動が広範囲になり、私自身が地方へも直接出向くことで、当初は腫れ物に触るように疎外されていた「ダイヤモンドネイル」は、業界内で徐々に認められた。
2009年5月のBeauty World。
ブースを訪れた、ひとりの韓国人女性と提携の話が進んだ。
そして2009年10月、韓国のソウル市江南区(カンナムグ) 清潭洞(チョンダンドン) で1carat KOREAをプレオープンさせた。
あっという間の出来事だったが、韓流ブームも来ていたし流れは良い方向に進んでいると感じた。
<ダイヤモンドネイル創世記 -10- へ つづく>
それじゃあ、また。