ブルーオーシャンでしか泳げない

日本とアジアで展開中のブランド「1carat」のCEO。 創業25年のデザイン会社主宰。撮る・歌う・弾く。

ダイヤモンドネイル創世記 -3-

 < ダイヤモンドネイル創世記 - 1・2 - からの続きです>

上記リンクよりそれぞれのページ に飛ぶことができます

 

 

❏ 有名になる過程の苦悩とは

 

あんなに望んでいたテレビや雑誌に掲載されること。

なのに、その度に感じる「違和感」。

これに苛まれた。

 

手放しで喜んでいない自分に気付く。

「何だか嬉しくない」のだ。

 

それは自分が理想とする「ビジュアル」ではなかったからだ。

  

◎ ダイヤモンドが逆に ( 尖ったほうが上 ) 配置されたりする

◎ アートそのものに「ただ付けました」感が否めない。

 

ダイヤモンドには、キューレットと呼ばれる尖った部分がある。

これはブリリアントカットに必要な要素。このシェイプじゃないとダイヤが輝くことはない。

 

これを完全に逆に取り付けて撮影する雑誌もあったのだ。

「これじゃあ パンクかヘビメタ 逆さまじゃないか・・・」

背筋が寒くなったのを今でも覚えている。

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実はダイヤモンドという石の正体は「宝飾業界以外の方」には詳しく知られていない。

それに気付いたのは、1caratが世間に認知されようとしていた時だった。

 

ラインストーンが全盛の時代とは言え、「ダイヤモンドの底がフラット」だと思っていた方がどれだけ多かったか。

ダイヤモンドが、なぜ比類なき輝きを放つのかという「理由」についても同様だった。

 

ダイヤモンドって実はあまり詳しくは知られていなかったんだ・・・。

 

このまま取扱店舗を増やして、更に商品を売り続けることは、もちろん出来る。

売上は上がっていたし、お客様も喜んでいた。

 

しかし、1caratの商品を使った後の「仕上がり」に " 私 " が納得できないし、せっかく買って頂いた方々になんだか申し訳ない。

 

このままではいずれは廃れる・・・それより「世界初」とか「唯一無二」などというキャッチコピーに対して、このビジュアルはいくらなんでも恥ずかしすぎるのだ。

 

 

苦渋の決断ではあったが、販売を「中止」とした。

一般への販売を無期限停止としたのだ。

 

経営は苦しくなることも分かっていたが、自分の意に反することはしたくない。

 

直ちにブランドの進むべく道を正したかった。

よくわからないまま、技術者になってくれる人間も探した。

「ネイルサロン」なるものを早急にオープンさせるための準備を進めたのだ。

 

 

❏ 美しいダイヤモンドネイルへの道

 

「美しいダイヤモンドネイル」にするために技術を研鑽し、サービスの内容も自分が納得できるものとしたかった。

結果がどうなろうと「道」はこれしかない。

 

 

その時に会社が入っていたビルの「路面」フロアが空いていた。

2005年1月。そこに今のサロンの原型となる「ダイヤモンドネイル専門サロン」を作ることにした。

 

「1carat Nail salon & Gallery ワンカラットネイルサロン&ギャラリー」の誕生である。

 

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「専門」というのはブランディングに欠かせない要素のひとつ。

専門性が高いほうが、お客様にとっても「行っていいのかどうか」の判断基準になるからだ。

受ける側としても「お客様から求められるサービス」が、お店の " コンセプト " と違うことで起こる相互トラブルがないので安心だ。

 

とかく「何でもできます」と謳いたくなるのが人情ではあるが、その打ち出し方は、ともすれば「どれも中途半端」と捉えられかねない。

レッドオーシャンで「価格競争」に巻き込まれるパターンは往々にしてこの形なのだ。

 

 

 ❏ 技術の確立を目指して

 

マニキュアを施すサービスを提供しながらも、ダイヤモンドネイルの技術を確立させるための研究が続いた。

 

当初は、ベースとなる「アクリルやネイルエナメル」と、固定するための「グルーやレジン」を駆使した技術だった。

これをレポートにまとめ、技術マニュアルをコツコツと作成した。

 

実は特許を取得するために、すでに出願をしていた。

特に日本国特許は " 先願主義 " である。要するに「先に出した者勝ち」。

認められた日よりも出願日が優先されるのが、日本の特許制度の特徴なのだ。

これに比べ、アメリカの場合は「認められた日」が優先となる。

 

新しい商品や技術を「特許」として登録することは、他からの「特許侵害訴訟」に対する最大の防御

こう、楽器業界から学んでいた。

 

そんなある日、WEBサービスの外注を担っていただいていた中山さんから声がかかった。

 

「中国の展示会にでませんか?」 

それは広島県の産業振興会がアシストしている、中国・成都での「ジャパン・パビリオンブース」への誘致だった。

出展費用もかからず、旅費だけで経験が積めることもあって、二つ返事で承諾したのだ。

巨大な中国のマーケットで、1caratの「立ち位置」をトライアルで俯瞰 ( ふかん ) できる。これをある意味の「チャンス」と捉えた。

 

2006年5月。我々は「パンダの聖地」四川省成都へと飛んだ。

 

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基礎小間にポスターを配置しただけの簡易ブースで、ダイヤモンドネイルのサービスを行った。

 

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アイスティーを頼んだら、冷たい水にティーバッグ + 粉ミルクだって。

とても飲めたもんじゃないぜ。  WOW SO NICE !

 

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成都の繁華街にネイルサロンがあったので「飛び込み営業」(笑) 。
マニキュアとアクリルネイル ( 中国語で水晶と書く ) だけでもこの人気ぶり。

 

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突然の訪問にも関わらず、サロンのオーナーにデモンストレーションを許可していただいた。謝謝 ! 

通訳の陳さん、元気かなぁ。

 

完全なるトライアルに終わったが、発展途上の中国ネイル市場にも学ぶべきところはあった。

 

私が理想とするダイヤモンドネイルへの道は遠い。

 

<ダイヤモンドネイル創世記 -4- へつづく>

それじゃあ、また。