ブルーオーシャンでしか泳げない

日本とアジアで展開中のブランド「1carat」のCEO。 創業25年のデザイン会社主宰。撮る・歌う・弾く。

ダイヤモンドネイル創世記 -6-

ダイヤモンドネイル創世記 -5- からの続きです。

 

ダイヤモンドネイルマイスター制度を設立し、

我々は一気に活動の範囲を広げ始めた。

 

ネイル VENUS 2007/WINTER号で

「ダイヤモンドネイルマイスターライセンス徹底解剖」

という特集を組まれたことで、

受講の申し込みと問い合わせが殺到したのだ。

 

1caratというブランドは、 " 本物 " を扱うという、

言わば「完全に差別化されたネイルサロン」の代名詞と

位置付けした以上、ここで中途半端なことはできない。

 

ダイヤモンドの色と種類を増やし、

色石と呼ばれる「天然石」や「天然パール」もラインナップした。

 

発売以来、今も品薄が続く「baby heart 」や「baby pearl」をはじめ、

本物志向の方には、天然石のノヴェラシリーズも

人気を博した。 ( 現在、ノヴェラシリーズは廃盤 )

 

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1caratがデビューして3年。

様々なお言葉をいただいた。

 

「ダイヤモンドなんて爪につけたらもったいない」

「落としたらどうするの?」

「これ本物?」(笑)・・・。


さすがに今ではそう言われることはないが、

早速ダイヤモンドネイルを試される方々は

沢山いらっしゃったのだ。

実はその頃も「不景気不景気」と騒がれてはいたのにも関わらず。

 

ところでこの「不景気」って、

一体何年続いているのだろう。

バブル崩壊が1991年なので、

もうかれこれ 27 年・・・。

とても「失われた20年」どころの騒ぎではない。

 

「この状況」はもうすでに長い。

この状況が標準となっている今、

我々ももう「不景気」という言葉を使う必要はない。

むしろ使わないほうが良いのではないか。と思う。

 

 

その頃、1caratは勢いを増していた。

関西以西を網羅する「西日本統括本部」を設置し、

 ダイヤモンドネイルを教える提携校は、一気に " 58校 " となった。

 

KOBE COLLECTION 2007。神戸周辺と本社の1caratエデュケーターがデモを行った。

 

1caratの活動は、東京から各地方へ広がった。

もう私が全部のイベントに出向くことは不可能なほどだ。

 

KOBE COLLECTIONの会場では、

“ 本物のダイヤ !! すごい綺麗 !! ” との声。

 

繰り返し使えるお得感も相まって、女性なら誰もが憧れる

ダイヤモンドをネイルにできるという発想に、お客様は驚いた。

 

産みの苦しみも味わったが、

果たしてこれは自分が理想としている道なのだろうか。

 

あの頃は、そんなことを考えている余裕もないまま、

走り続けていた。

 

<ダイヤモンドネイル創世記 -7- へつづく>

 

pants-gaku.hatenablog.com

 

 

それじゃあ、また。