彼は悩んでいた。
自分がミュージシャンであることに、某かの疑心を持ち始めていたのだ。
彼とはロサンゼルスの「Baked Poteto ( ベイクド・ポテト ) 」という超有名なライブハウスの前で初めて会った。
" 赤いジャジャ馬 " に乗って颯爽と現れ、彼は乗馬用のブーツを履いていた。
フェラーリだから乗馬用のブーツを履いているのか?
とは最後まで聞けなかったが、きっとそうだったのだろう。
彼の名は " Jonathan Moffett ( ジョナサン・モフェット ) " 。
言わずと知れたマイケル・ジャクソンの専属ドラマーである。
マドンナなんかとも演ってるという。まーどんな?
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私は彼を知らなかったが、CANOPUSのマネージャーだと説明すると、まるで久しぶりに会った友人のように、人懐っこい笑顔で " ハグ " してくれた。
ロスにはNAMM SHOW (ナム・ショー : 世界有数の楽器フェア) に出展するために来た。
社長がジョナサンと「Jeff Porcaro ( ジェフ・ポーカロ ) バンド」を観に行くというので、同行した時の話だ。
生憎、ポーカロはレコーディングか何かで不参加だと、来て早々に知った。
間近で観れるチャンスなんてそうそうないのに・・・。
楽しみにしていただけに相当ショックだったが、ジョナサンも凄く落胆していた。
1991年1月。Jeff Porcaroが亡くなる前の年のことだった。
ポーカロは自分のアイドルだった。
ドラマーでなくともポーカロを崇める音楽好きは多い。
「松田聖子に曲を書いてポーカロに叩いてもらうんだぁ」
当時そんな事を良く言っていたし、自分のユニットでもポーカロに叩いてもらうことを想定してドラムの打ち込み (コンピューターに入力すること) をしたものだ。
一度も会うことがなく、彼は逝ってしまったので、それは夢のまた夢に終わってしまった。
ポーカロが旅立って1年後、Jeffのお父上である偉大なパーカッショニスト、Joe Porcaroとは仕事で会うことが出来た。
思い切って「 I'm so sorry about Jeff」そう伝えた。
Jeffのお母様も来てくれて、Joeと私と3人で肩を抱き合った。
言っていいものか迷ったが、ご家族に伝えることが出来て良かったと、今、心から思う。
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Steve Lukather (G)
David Garfield (keyboards)
John Peña (bass)
Gregg Bissonette (Drums)
Lenny Castro (percussion)
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遠い記憶を辿ってみたが、このラインナップで間違いないはず。
今、考えてもとんでもないメンツだ。
ポーカロのエキストラで、なぜグレッグ・ビソネットが叩いていたかは不思議だったが、後にTOTOで叩いたことを知って合点がいった。
デイビッド・リー・ロスのドラマーだったこともあって「ハードロック畑」のドラマーかと思ったが、実はジャズ・フュージョン系のドラマーらしい。
とにかく、TOTOとKARIZMAが合体したようなユニットを、1mくらいの至近距離で観れたのだ。
とにかく凄かった。
音楽をやっています、なんて言うのが恥ずかしいくらい凄かった。
インターバルの時、トイレで Steve Lukather にばったり出くわした。
「Hi I'm Steve Lukather」
もちろん知ってるよ。ファンだしね。
お前、ギター弾くのかと聞かれたので、YES 高須クリニック と答えた。
これは、用を足しながらの会話だ。
「ちょっと来いよ」
ルカサーに手を引かれたので、マズイ・・・あっち系だっけ?とパニクった。
何しろトイレの中の話だ。なにがあっても不思議ではない。
いやいや。何かあっては困る。でもルカサーだしな。
ルカサーはどんどん私を引っ張っていく。
どこに行くんだ。何をされるんだ。
なんて思っていると、いつの間にか私はステージに上げられていた。
ステージと言っても、小さいライブハウスのステージ。
緊張はしなかったが、お客さんは目の前でこの光景を観ていた。
弾いてみろよ。
ロボットの絵が描いてあるVally Artsを持たされた。
良く雑誌とかで見るトレードマークのあのギターだった。
これこれ↓
Awin Urustim Music - Studio Gear - Guitars - Valley Arts Custom Robot - M001
もう " 弾く " しかないだろ・・・。
ありったけの、取って置きの、日本人ならではの「フレーズ」を弾きまくった。
ちょっとオリエンタルな感じのね。
その時、誰かが " やるじゃん" 的なニュアンスで口笛を吹いた。
紫色の「ロサンゼルス・レイカーズ」のサテンジャケットを着た、ジョン・ペーニャだった。
ジョン・ペーニャも「スーパー」が付く、素晴らしいベースプレイヤー。
ファーストステージでも超カッコ良かった。ルックスも良い。
日本であまり知名度がないのが不思議なくらいだ。
ルカサーは自分のエフェクトボードを指差し、「ここ踏め、踏んでみろ」と促した。
デジタルで表示される部分は、どこを踏もうと「P◯ssy」と表示される。
全部P◯ssyじゃん。と言うとルカサーは、ビールを飲みながら大笑いした。
最高だろ?どの音もP◯ssyなんだぜ。
いやいや、そういう意味で付いてるんじゃないでしょ、この機能は(笑)
ジョン・ペーニャは、こいつすげーP◯ssyが好きなんだ。
というと私もみんなも爆笑した。
いわゆるただのボーイズワールドだ。
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セカンドステージも最高だった。
その余韻の中で、ジョナサンは訥々と私達に話し始めた。
「俺も音楽をやりたいよ。」
えー、充分マイケル・ジャクソンとかと演ってるでしょ?
「いや、そういうのじゃないんだ。今日聞いたのが音楽だ。」
彼は、マイケルをどんなに尊敬しているか、どれだけ自分が恵まれているかを話してくれたが、どうやらインプロビゼーション的な、予定調和のない音楽をプレイしたかったのだ。
マイケルがステージのセリからジャンプして出てくるだろ。
その時は必ずこう叩く。1年中いつも、そう叩く。
これは音楽なのか?
そう悲しそうに言うのだ。
じゃあ俺が代わりにやるからマイケルを紹介してよ。
そんな彼の " 贅沢 " な悩みを聞きながら、LAの夜は更けていった。
帰りがけ、「社長」は前歯を全体的に矯正している女の人から、Post it が折り畳まれたくらいの大きさの " メモ " を受け取った。
「夜を楽しみましょう」と辿々しい日本語で書いてあった。
ジョナサンも私も笑った。
どうします社長? 今夜は探しませんよ。
振り向くと、その女性の矯正している部分がピカピカと輝いていた。
ああ、なんて素敵なロサンゼルスの夜なんだ。
あれから、もう27年。
マイケル・ジャクソンの急死を受けて作られたドキュメンタリー「This is it」を観た。
そこには元気に語るジョナサンが映っていた。
あの時より貫禄が増したように見える。
なにかこう、ほっこりと嬉しい気持ちになった。
そしてふと、「あの夜のこと」を思い出したのである。
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それじゃあ、また。