ブルーオーシャンでしか泳げない

日本とアジアで展開中のブランド「1carat」のCEO。 創業25年のデザイン会社主宰。撮る・歌う・弾く。

80年代に経験したブルーオーシャン

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別に人と違ったことを、闇雲にやろうとしていたわけではない。

ただ、人と同じことをすることに抵抗があったのだ。

 

そもそも「ブルーオーシャン戦略」は、フランスの大学院教授によって2005年に発表されたビジネス戦略だ。自分の起業時には知る術 ( すべ ) もない。

 

ちなみに、「ブルーオーシャン」に対して「レッドオーシャン」といわれる市場がある。

 
既にマーケット ( 市場 ) が、価格競争などで激戦となっている市場のことを指すのだが、私が若い頃に青春を費やした「ドラム ( 楽器 )」の市場はこれに属する。

 
コモディティ化と呼ばれる、商品同士の差別化が失われて供給過多になる事態を避けるために、エンドーサーと呼ばれる有名アーティストに名前を借り、アーティストモデルなるものを捻出し差別化を訴えたり、限定生産品を作ることで些か無理のある焦燥感を感じさせようとしたり、それはあまりにも音楽的とは言い難い " 業界 " だった。

 
価格競争などは言わずもがな。

カメラ量販店の模倣で「2割・3割当たり前!」を大手楽器量販店が率先して行ったことで、客が店に入るなり「これ何割引き?」なんて挨拶のように聞かれることが常識化していたのだ。

 
しかもユーザーの生きた声を吸い上げることの出来る店舗が、人件費の削減を目的とした「スーパーマーケット化」を目指していたことで、楽器業界はもはや終焉を迎えていた。

 
これでは店舗に出かける意味さえなくなってしまう。

自ら率先して「コモディティ化」を目指しているようなものだ。

 

しかし幸いな事に私の在籍した会社は、まったく真逆の方向に帆を張っていたのだ。

「ビンテージ楽器の販売」

「メンテナンスとカスタマイズ」

「アメリカの新しいブランドの開拓」

という当時のメーカー・楽器店が見向きもしていなかったビジネス。

 

とりわけ「ビンテージ」の世界は、完全なブルーオーシャンだった。

1950年代から70年代の古いドラムを、ただアメリカから取り寄せて売るだけでは成立しないこのビジネス。

それを見つけることすら困難だし、仮に良質だったとしても「メンテナンス」が必要不可欠なのだ。

古く貴重な情報を顧客に伝えることも「付加価値」となって、日本中のビンテージマニアが大勢押しかけた。

 

ちなみに私のセクションは「アメリカの新しいブランドの開拓」とそのR&D ( リサーチ&デベロップメント )、そしてMD ( マーチャンダイジング ) だった。

簡単に言うと、日本市場での販売促進・企画を行い、商品の適正在庫などを考えることが仕事。

 

今や超有名ブランドとなった、DW ( Drum Workshop ) というカリフォルニアに拠点を置く、メーカーの担当だったのだ。

DWは今でこそ低価格帯の量産品もあるが、当時は受注生産のみ。国産品と比べ4〜5倍の高価格帯で、ドラムの中では非常識ともいえる高額なブランドだった。

 

もちろん、こんな高額なドラムを売ることは未だかつて経験がない。売りに来られた販売店の担当だって困るだろう。

それは毎日が苦悩の連続だった。

そんなある日、ビッグニュースが舞い込んできたのだ。

 

この続きは【独占という名のブルーオーシャン】でお楽しみください。 

 

それじゃあ、また。