ブルーオーシャンでしか泳げない

日本とアジアで展開中のブランド「1carat」のCEO。 創業25年のデザイン会社主宰。撮る・歌う・弾く。

ダイヤモンドネイル創世記 -4-

 < ダイヤモンドネイル創世記 - 3 - からの続きです>

ダイヤモンドネイル創世記 -3- - ブルーオーシャンでしか泳げない

  

❏ グローバルな視点で考えたこと

 

私は常々、1caratは「海外」でも展開出来ると考えていた。

もちろんネイルというサービスの市場性や協力企業があってのことだ。

まだ試験段階とは言え、サロンもオープンしたことで方向性は見えていた。

 

コツコツと書き上げていた「技術マニュアル」。

これはダイヤモンドネイルの技術を「国際規格」として、世界中のネイリストに教育していくことを前提として書き綴っていた。

 

技術や規格を統一する努力は、それを初めに開発した会社が行うべきだ。

需要が広がった際、技術がマチマチなことで損害を被るのは「お客様」になる。

ここに倫理を示さず、どこに示すというのだ。

 

これらを推進していくには、模範となるネイリストも各地に必要だったため、すでに業界紙などで「募集」も開始していた。

 

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初期のマニュアルの一部を抜粋 ( 2004年作成 )

 

 

❏ 香港でのプロモーション

 

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撮影 by myself
 

香港のネイルサロン " Nail Nail " は、香港国内で当時20店舗を展開していた大手チェーン。

海外に、今後の模範になるような「国際提携店」を作りたいと、2004年の秋より何度もプロポーズをしていた。

 

Nail Nail からプロモーションの企画書が送られて来たのは、2006年3月。

春の匂いを感じ始めた心地よい夜の事だった。

 

「 大好きな香港で 飲茶が食べられる  1caratをプロモーション出来る !  」

 

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 撮影 by myself

 

香港は1997年に中国へ返還となった。

香港らしさが失われていく事を懸念していたが「特別行政区」となったために、政治体制の変更は50年間しないと約束された。

かつて訪れたことがある「九龍城」は、老朽化が理由で残念ながら取り壊されたが、香港国民の " 誇り " が「秩序」とその「歴史」を守り、昔ながらの香港もまだ残されている。

 

国土面積としては確かに狭い。

しかし、その限られたエリアにアジアの「 粋 ( すい ) 」が凝縮されている、素晴らしく魅力的な都市。

奥がそこはかとなく深いのだ。

 

 

香港行きは個人的にも楽しみだ。

プロモーションすべきことも決まっていたし、今のベストを香港で見せたい。

 

模範ネイリストの応募で「エデュケーター」候補だった天白麻耶さんにデモンストレーターを。

通訳は、中国・成都で同行してくれた陳さんに依頼した。

 

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セミナールームには100名近い香港のネイリストやメディアなど、沢山の人が詰めかけた。「 Nail Nail 」のプロモーション力は相当なものだ。

 

 

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プロモーションの後、Nail Nail のスタッフに個別講習を行った。
2年越しのプロポーズが漸く実を結んだ瞬間だ。 

 

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その時の様子は、後に発刊された「香港の美容雑誌」にも取り上げられた。

 

 

❏ 光があれば陰がある

 

私は悩んでいた。

それは、ダイヤモンドの固定した後の「脆弱性」であった。

 

エナメルだけでコーティングするには限界がある。

「アクリル3D」や「埋め込み」にばかり、頼ってもいられないデザイン性の問題もある。しかし、今のところこれしか方法がなかった。

 

経営者に悩みが無くなることは、経営を辞めるまではない。

しかし悩みがあるということは、前進している証なのだ。

分かっていても悩んでいる間は、苦しい。

苦しいから何とかせねばと藻掻くのだ。

 

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PSグループのCEO Ms. Lizaと担当のMs.Moon。

 

PS Groupはネイルの他にもヘアサロンを20店舗以上経営していた。

1996年からたった10年で香港のNo.1 ビューティー企業に成長させたのだ。

 

「 1caratの " 成功 " は Solving the adhesion problem  にかかっているわね 」

PS GROUP の CEO、Ms. Liza から一言こう言われた。

 

要するに「ダイヤモンドを固定した際の脆弱性を解決しろ」ということだった。

 

実は、Ms. Lizaもサラリーマンからの独立でここまで会社を大きくした。

その悩みは痛いほどわかるとも言ってくれた。

彼女は宝石が好きだったので、" 1carat " に愛情を持って接してくれていたのだ。

 

1caratの周囲からは「香港での活動」が輝いて見えていたはずだ。

しかし、私は浮かれてはいなかった。

半ば落ち込んだ気持ちで香港を後にしたのだ。

 

<ダイヤモンドネイル創世記 -5- へつづく> 

 

それじゃあ、また。

ダイヤモンドネイル創世記 -3-

 < ダイヤモンドネイル創世記 - 1・2 - からの続きです>

上記リンクよりそれぞれのページ に飛ぶことができます

 

 

❏ 有名になる過程の苦悩とは

 

あんなに望んでいたテレビや雑誌に掲載されること。

なのに、その度に感じる「違和感」。

これに苛まれた。

 

手放しで喜んでいない自分に気付く。

「何だか嬉しくない」のだ。

 

それは自分が理想とする「ビジュアル」ではなかったからだ。

  

◎ ダイヤモンドが逆に ( 尖ったほうが上 ) 配置されたりする

◎ アートそのものに「ただ付けました」感が否めない。

 

ダイヤモンドには、キューレットと呼ばれる尖った部分がある。

これはブリリアントカットに必要な要素。このシェイプじゃないとダイヤが輝くことはない。

 

これを完全に逆に取り付けて撮影する雑誌もあったのだ。

「これじゃあ パンクかヘビメタ 逆さまじゃないか・・・」

背筋が寒くなったのを今でも覚えている。

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実はダイヤモンドという石の正体は「宝飾業界以外の方」には詳しく知られていない。

それに気付いたのは、1caratが世間に認知されようとしていた時だった。

 

ラインストーンが全盛の時代とは言え、「ダイヤモンドの底がフラット」だと思っていた方がどれだけ多かったか。

ダイヤモンドが、なぜ比類なき輝きを放つのかという「理由」についても同様だった。

 

ダイヤモンドって実はあまり詳しくは知られていなかったんだ・・・。

 

このまま取扱店舗を増やして、更に商品を売り続けることは、もちろん出来る。

売上は上がっていたし、お客様も喜んでいた。

 

しかし、1caratの商品を使った後の「仕上がり」に " 私 " が納得できないし、せっかく買って頂いた方々になんだか申し訳ない。

 

このままではいずれは廃れる・・・それより「世界初」とか「唯一無二」などというキャッチコピーに対して、このビジュアルはいくらなんでも恥ずかしすぎるのだ。

 

 

苦渋の決断ではあったが、販売を「中止」とした。

一般への販売を無期限停止としたのだ。

 

経営は苦しくなることも分かっていたが、自分の意に反することはしたくない。

 

直ちにブランドの進むべく道を正したかった。

よくわからないまま、技術者になってくれる人間も探した。

「ネイルサロン」なるものを早急にオープンさせるための準備を進めたのだ。

 

 

❏ 美しいダイヤモンドネイルへの道

 

「美しいダイヤモンドネイル」にするために技術を研鑽し、サービスの内容も自分が納得できるものとしたかった。

結果がどうなろうと「道」はこれしかない。

 

 

その時に会社が入っていたビルの「路面」フロアが空いていた。

2005年1月。そこに今のサロンの原型となる「ダイヤモンドネイル専門サロン」を作ることにした。

 

「1carat Nail salon & Gallery ワンカラットネイルサロン&ギャラリー」の誕生である。

 

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「専門」というのはブランディングに欠かせない要素のひとつ。

専門性が高いほうが、お客様にとっても「行っていいのかどうか」の判断基準になるからだ。

受ける側としても「お客様から求められるサービス」が、お店の " コンセプト " と違うことで起こる相互トラブルがないので安心だ。

 

とかく「何でもできます」と謳いたくなるのが人情ではあるが、その打ち出し方は、ともすれば「どれも中途半端」と捉えられかねない。

レッドオーシャンで「価格競争」に巻き込まれるパターンは往々にしてこの形なのだ。

 

 

 ❏ 技術の確立を目指して

 

マニキュアを施すサービスを提供しながらも、ダイヤモンドネイルの技術を確立させるための研究が続いた。

 

当初は、ベースとなる「アクリルやネイルエナメル」と、固定するための「グルーやレジン」を駆使した技術だった。

これをレポートにまとめ、技術マニュアルをコツコツと作成した。

 

実は特許を取得するために、すでに出願をしていた。

特に日本国特許は " 先願主義 " である。要するに「先に出した者勝ち」。

認められた日よりも出願日が優先されるのが、日本の特許制度の特徴なのだ。

これに比べ、アメリカの場合は「認められた日」が優先となる。

 

新しい商品や技術を「特許」として登録することは、他からの「特許侵害訴訟」に対する最大の防御

こう、楽器業界から学んでいた。

 

そんなある日、WEBサービスの外注を担っていただいていた中山さんから声がかかった。

 

「中国の展示会にでませんか?」 

それは広島県の産業振興会がアシストしている、中国・成都での「ジャパン・パビリオンブース」への誘致だった。

出展費用もかからず、旅費だけで経験が積めることもあって、二つ返事で承諾したのだ。

巨大な中国のマーケットで、1caratの「立ち位置」をトライアルで俯瞰 ( ふかん ) できる。これをある意味の「チャンス」と捉えた。

 

2006年5月。我々は「パンダの聖地」四川省成都へと飛んだ。

 

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基礎小間にポスターを配置しただけの簡易ブースで、ダイヤモンドネイルのサービスを行った。

 

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アイスティーを頼んだら、冷たい水にティーバッグ + 粉ミルクだって。

とても飲めたもんじゃないぜ。  WOW SO NICE !

 

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成都の繁華街にネイルサロンがあったので「飛び込み営業」(笑) 。
マニキュアとアクリルネイル ( 中国語で水晶と書く ) だけでもこの人気ぶり。

 

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突然の訪問にも関わらず、サロンのオーナーにデモンストレーションを許可していただいた。謝謝 ! 

通訳の陳さん、元気かなぁ。

 

完全なるトライアルに終わったが、発展途上の中国ネイル市場にも学ぶべきところはあった。

 

私が理想とするダイヤモンドネイルへの道は遠い。

 

<ダイヤモンドネイル創世記 -4- へつづく>

それじゃあ、また。

 

多摩川浅間神社へ

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田園調布一帯の氏神様である、多摩川浅間 ( せんげん ) 神社 ⛩  へ。

 

この神社は、日本神話において一番美しい存在であるという神様 " 木花咲耶姫コノハナサクヤヒメ ) " がいらっしゃるので、是非ご挨拶したいと思っていたのです。

本殿は女性の神様が祀られている神社らしく、綺羅びやかで豪華でした。

 

境内に入ると、やはり俗界とは一線を画した「神聖な場所」だということがわかります。澄みきっていて凛とした空気。体感気温が2℃ほど下がったような感覚です。

 

霊峰富士山ゆかりの神社が、うちから車で20分程度のところにあるなんて、行かない理由がありません。

 

実は財布を新調したので、この財布から初めて使うお金を「御賽銭」に。

財布の色は「金運が上がる」と言われている、私が一番好きな色です。

さぁ、どうなることやら (笑)。

 

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この頭より一回り大きい「水晶玉」。

存在感が凄い。
これに触れることも目的のひとつでした。

 

石盤を動かし、自分の干支が彫られている部分を富士山の方角に合わせ、祈るというものです。

太陽の光に透かすとエネルギーが湧いてくるのがわかります。

 

この先の展望台からは富士山が見えるのですが・・・今日は雲に隠れて見えませんでした。

 

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この水晶玉の台座の柱には、私の守護神「龍」が彫られていました。

 

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この神社には、4つの境内社もあって、それぞれの眷属 ( けんぞく ) が来られていると言います。

 

おみくじは「末吉」。

まぁまぁ歓迎していただけたのかな?

この神社の周りには、前方後円墳や公園もあり、お散歩にも良いですね。
おもしろいカフェも2つ見つけたので、今度はランチがてら出かけてみたいと思います。

 

それじゃあ、また。

ダイヤモンドネイル創世記 -2-

 

pants-gaku.hatenablog.com

 < ダイヤモンドネイル創世記 -1- からの続きです。上記リンクより - 1 - へ >

 

クリーニング用のリムーバーは「揮発しない成分」の溶液が条件となった。

それ相応の時間、浸け置きするには「揮発」しては意味がないからだ。

 そしてダイヤを入れるケースは「ガラス製」。

実は、見た目のイメージよりもダイヤモンドは " 軽い " 。

 

1カラット分で、なんと「0.2g」しかないのだ。

なので「重さ」としても " ある意味の高級感 " を与えたかった。

 ダイヤを受け取った際に「軽っ!」と感じては、そのものの価値も軽く感じる。

人間の心理とはそういうものだ。

 

ブランド名は紆余曲折あったが「 1carat ( ワンカラット」に落ち着いた。

女性の「憧れ」の対象であるダイヤモンドの重さを表す単位である「carat ( カラット )」を含ませたブランド名にしたかったからだ。

 

当時はいわゆる「デザイン会社」だったし、オフィスも会社然としていたので「サロン」をオープンして、ユーザーにサービスするという発想はまったくなかった。

 

商品としてデパートなどに置いてもらい、ダイヤモンドはユーザーが自らセットするという、どちらかというと化粧品ブランド的な位置づけだったのだ。

 

当時、ネイルアートは女性が自分で嗜む ( たしなむ ) もの。

それ故の発想で商品を開発した。

 

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まず、1carat分のダイヤモンドを入れたパッケージを製品化した。

1カラット分の0.003ct が300石入った「grande ( グランデ )」というネーミングのキットだ。やっぱりイタリア語なのね (笑)。

 

トップコートと高級感のあるフェイクファーのケースに入ったセットの価格は、当時230,000円とかなり高額であった。

 

「ネイル界のロールス・ロイス

この " 位置 " を目指したのだが、広告宣伝をネイル雑誌だけにしていたことで残念ながら販売数は伸び悩んだ。

 

正直、迷走していた。

何が正解なのかは知る術 ( すべ ) もない。

 

 

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これに慌てた私は、サイズダウンした「baby one」を急遽ラインナップ。

これを機に本格的に取扱店舗を探し、程なく「SONY PLAZA」と「東急ハンズ」が取扱店舗として名乗りを上げたのだ。

 

0.003ctのダイヤモンドが「20石」入ったこのシリーズは・・・

 

爆発的に売れた

 

国内のみならず、メールだけでの営業で「香港」「オランダ」「エストニア」「スロベニア」などヨーロッパへの輸出も行ったのだ。

 

そして日経MJに掲載されたことをきっかけに、様々な雑誌にも掲載されるようになった。

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伝説の雑誌、あの " ニキータ " に、baby one を1ページまるまる掲載していただいた。本文はさすがの過激路線。さすがの切り口にはただただ関心するばかり。

 

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漫画にも登場したことがある。

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漫画家の「あやせ理子」さんには、わざわざ取材にも来て頂いた。

 

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「爪が伸びたらダイヤは捨てる」と思う人もいた (笑)

 

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これは美化された私 (笑) どうも・・・餅月です。

ハムの人ダイヤモンドネイルの人です (笑) キラッ☆

 

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ええ。ネイルには本物じゃないとね。

 

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スペック完璧!

 

「王様のブランチ」や「おはよう朝日です」「めざましTV」「ミヤネヤ」、「NHKのニュース」や「地方局の情報番組」など、数え切れないくらいのテレビ番組で放映。

ラジオでは、憧れの「吉田照美のやる気MANMAN」( 文化放送 ) で紹介された。

実は、小俣雅子のファンだったのだ ( 笑 )。

 

そして、これから更に忙しくなる気配を感じたのだが・・・・・。

 

<ダイヤモンドネイル創世記 -3-へ つづく>

 

 

それじゃあ、また。

ダイヤモンドネイル創世記 -1-

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申し遅れたが、私はデザイン会社の他に「ネイルサロン」も経営している。

デザイン会社と並行して2003年に始めた「ダイヤモンドネイル」のためのサロンだ。

" ダイヤモンドネイル " とは、いわゆる「ネイル」に本物のダイヤモンドをアートする画期的な技術とサービスのこと。

 

「この小さなダイヤの良い使い道ないかねぇ、望月さん。

これ、小さすぎるからジュエリーにも使いづらくてね。」

 

代官山のジュエリー会社からデザインの依頼を受けた際に、1/300 ( 0.003ct ) カラットの微小ダイヤの " 新しい使い方 " の相談を受けたことがきっかけだった。

 

「これがそのダイヤだよ」

まるで " 砂のように小さなダイヤモンド "

サラサラと、小さなスコップから煌めきながらこぼれた。

 

ダイヤモンドに興味はない。

だが、その美しさに見とれている自分に気付く。

 

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デビュー当時のカタログに掲載された0.003ct のダイヤモンド ( 1石 1,300円 税別 )

 

早速、帰宅して妻にこのことを相談した。

ネイルに使うのも良いんじゃない? ネイルはこれから流行ると思うよ。」

その時の私は女性のトレンドに詳しく無かったが、この一言には「イケける」と感じたのだ。

 

そのジュエリー会社に「渾身の提案書」を持参したのは、それから2週間後。

 

そこには、きちんとブランディングされた「ダイヤモンドを石のまま販売する路面店」や、「それを取り付けるサービス」としての展開、「ダイヤモンドが贅沢に " 鑑賞 " できるカフェの構想」などをイラスト付きで丁寧に描いた。

そのビジュアルに、5カ年の経営計画書や広告用のキャッチコピーまでを更に添付した。

 

「うわ。凄いなこれ。うちにはこんな壮大な事はとてもできないな・・・。

これさ、望月君、自分でやったら?」

 

実はこの企画書を練っている間、構想そのものに「夢」を感じていた。

でもこれはあくまでも「頼まれた」もの。

自分用にするわけにはいかないな、と思っていた矢先の「申し出」だった。

 

 

今でこそネイルサロンの乱立で過当競争にまでなっているが、その頃ネイルサロンと呼ばれるものはほとんど無かった。

ネイルアートは、女性が自分で行うものだったのだ。

 

一部の店舗で「マニュキュアを塗る」または「アクリル ( スカルプチュア ) を使って爪の長さを出す」サービスがあるにはあったのだが、一般的には知られていなかった。

 

仮に市場規模が大きくなっても「本物のダイヤモンド」を扱うことで「差別化」を図ることができる。

ダイヤモンド以上に " 価値のある石 " はないからだ。

ビジネス的にも大きいのはこのポイント。

 

これからの成長が見込める市場で「本物のダイヤモンド」を扱うことを導入期で認知されれば、仮に衰退期を迎えてもブランドとして生き残れる算段がつく。

こうも感じた。

 

まずネイルにするということは「ダイヤモンドを繰り返し使う」ということが条件になる。ラインストーンなどと同様の「消費材という扱い」は、ユーザーからしたら「とんでもない話」だ。

 

ということは・・・「ダイヤモンド」をクリーニング ( 洗浄 ) する必要がある。

「ダイヤモンドは永遠の輝き」というフレーズは嘘偽りにしたくない。

 

そして、この微小なダイヤモンドを入れる「ケース」。

販売するにしても、持ち運びするにしても「紛失しない」ようにするためにはケースが必要だ。

 

それからの半年間は「ダイヤモンドネイル」のデビューに向けて試行錯誤を繰り返したのだ。

 

<ダイヤモンドネイル創世記 -2- へ つづく> 
pants-gaku.hatenablog.com

 

それじゃあ、また。

 

有言実行のすすめ

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若かりし頃の夢は「歌手」になること。

音楽で生計を立てることだった。

 

ギターは小学4年の時から。

親戚の兄ちゃんから譲り受けたフォークギター(今はアコギっていいますねぇ)を改造して、自作のエレキでロックを弾くマセた子供だった。

 

その趣味は50を超えた今でも続けているので、結構本気で好きなのだ。

 

歌手を目指したと言っても、バンドのボーカルという位置づけ。

ジャンルは、ポップ〜ロックの間。

当時好きだったAOR(adult oriented rock) のテイストで米国西海岸系の爽やかなロックを演奏していた。

 

その頃、歌で世の中に貢献したいという気持ちが強かったので、

 

誰かがうまいこと発掘してくれて

良いレコード会社と契約

良いプロデューサーとディレクターが担当してくれて

ブレイクしないかな〜

 

などと漠然と思っていたのだ。

 

実はワーナー・ミュージックのレーベルのひとつ「wea」からデビューする話があった。

当時、槇原敬之さんの担当ディレクターが、我々の担当にもなってくれたのだ。

 

しかし、バブル崩壊と共に話が立ち消え立ちになってしまい、デビューの夢は「藻屑」と消えた。

その後も30まではデビューのための活動を頑張った続けたが、今は友達として音楽と付き合っている。

 

では、なぜ私はデビューに至らなかったのか?

今でも真剣にその時の事を考えることがあるのだ。

 

・こうしたいという気持ちを声に出して何度も発信しなかった

・失敗しても何度も立ち向かわなかった(継続しなかった)

・売り込みが他人任せだった もしくは 運任せだった

マーケティングが不足していた (どんな曲が世の中で必要かなど)

 

この中で最も重要なのは、

こうしたいという気持ちを声に出して発信しなかった」ことだと思う。

これに対しては、今でも強く「後悔」している。

 

何であの時、死にものぐるいでやらなかったんだろう・・・。

 

 

話は変わるが、人は意外に「他人」の事に関しては無頓着だ。 

家族が一昨日、いや昨日でもいい。

「どんな服を着ていたか」なんて、ほとんどの人は覚えてはいないだろう。

ましてや友達や同僚なら、覚えていなければならない理由がない。

 

では「夢や希望」ならどうだろう?

 

他人のことであれ「夢や希望」は不思議と脳裏に焼き付いている。

幼馴染や昔の同僚の「こうなりたい」は意外と「記憶」しているものだ。

ただし、それを伝えられた場合に限ってのことだ。

 

なので「良き友人」に自分の夢や希望を伝え続けることは、決して無駄なことではないと思う。

 

夢や希望を叶えるためには、「質の良い情報」が必要不可欠だ。

そして、それを得るのは「質の良い人」からでなければならない。

 

考えてみればあたり前のことだが、

上記の条件を首尾よく揃えるには、「有言実行」が効率が良い。

 

だからあの「デビューし損ねた日」から、常々そうしてきた。 

「発言」なくして「成就なし」ということを信じているからです。

 

それでは最後に、

デビューし損ねたという「そのサウンド」を是非お聞きください (笑)

 


Tip Top Voice song collection

 

Tip Top Voice are: 

望月道記 - Vocal & Acoustic Guitar
吉村"チャッチュ"秀一 - Bass & Chorus 
Keizi Arai - Electric Guitar & Chorus 
 
2nd album Support Musicians
佐藤 環 - Chorus
Masatoshi Nita - Guitars
長谷革ナオヤ - Drums / Percussion
 
Full Album「再び夢は風にのって」
0:00 /  01.  CANDLE
4:22 /  02.  BE-FREE
8:53 /  03.  FOR YOU
13:36 / 04. IS THIS LOVE?
18:30 / 05. LATELY
23:16 / 06. 週末
27:18 / 07. The Reason Why
33:00 / 08. 恋のクライシス
36:46 / 09. 3月の風景
41:22 / 10. 再び夢は風にのって 
 
2nd mini Album
45:21 /    11. BELIEVE
50:40 /    12. ひまわり
55:55 /    13. WANTED
1:00:31 / 14. あの頃に戻れない
1:04:29 / 15. 愛する君に
1:09:02 / 16. 太陽がいっぱい
 
 

それじゃあ、また。

 

ホッパーとアルジェント

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Courtesy of www.EdwardHopper.net

 

この絵画、 " Nighthawks " を初めて知ったのは、19の頃。

 

キース・ジャレット好きのジャズマニアだった親父が何故か持っていた、南佳孝の「SEVENTH AVENUE SOUTH」というアルバムジャケットに描かれていたのだ。

デビッド・サンボーンのサックスソロから始まる、このアルバムの内容も素晴らしく、今でもたまに聞く。

 

何故かこのジャケットに惹かれた。

 

深夜の静寂な空気。

背中を向ける紳士の孤独。

働く老人の倦怠。

ワケアリ風なカップルのひそひそと話す会話までもが聞こえてくるようだ。

その刹那を独特な描写で切り取っている。

 

しかし、なぜだろう。

何処かで見た光景に思えてならないのだ。

 

この絵が「エドワード・ホッパー / Edward Hopper (1882-1967) 」なる画家に描かれた物だと知ったのは、ひょんな事からその「どこかで見た光景」という謎が解けた時だった。

 

 

私は中学生の頃から " プログレッシヴロック " が好きだった。

通称プログレね (笑)。

 

イタリアの恐怖映画「サスペリア」のサウンドトラックを担当していた「ゴブリン」にいたく感動したのがきっかけで、中学生の分際で「イタリアンプログレッシヴロック」の門を叩いたのだ。

サスペリアは2作目 ( といっても1作目とは関連性がない内容 ) が1978年の秋に公開され、前作と同様「ゴブリン」が音楽を担当した。このサウンドトラックはスンバらしいので是非聴いていただきたい。

 


GOBLIN "PROFONDO ROSSO" (DEEP RED) on Italian tv

 

タイトルは「サスペリア2」 ( 原題 : Profondo Rosso )

監督ももちろん前作同様「ダリオ・アルジェント」。

その独特な描写に打ちのめされ、最も好きな映画監督になった。

 

実はあれからも何度も " このビデオ " を観た。
その時に「何か」に気づいたのだ。

 

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あれ・・・この Bar ・・・ あの " 絵 " に似てないか?

調べてみると、ダリオ・アルジェントも「ホッパー」が好きらしいということが判明したのだ。

この奇妙な偶然は、なんだかホッコリと嬉しい。

 

私もますますホッパーが好きになって、今でも気が向くと画集などを買っている。

 

  

2016年の11月。

40年近くもファンを続けていたイタリアの至宝「iPooh」の解散ライブを観にローマへ出かけた。

実は、この年の6月に続いて2回目 (笑)。

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ローマ・オリンピコで開催された解散詐欺疑惑のラストライブの模様  ( Mochie撮影 )。

 

最後だって言うから出かけたのに、エンディングロールで「また11月にやるよー」と。

これは立派な「解散詐欺」だ (笑)。

普通、旅行でローマって一生に1回とか2回じゃない?
それを1年で2回もローマに来ようとは・・・。

 

で、バス停でたまたま見た「ホッパー展」の広告。

あ、今、やってるのね。

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 しかし、ポスターの貼られ方がかなり雑 (笑)。いかにもイタリアっぽい。

 

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はい、行きました。 

で、ホッパーの絵の中にいる私 (笑) 。

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残念ながら "Nighthawks " の展示はなかったので、シカゴ美術館にいつか観に行こうと思う。

 

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あれ?

私、 何が言いたかったんでしたっけ?

 
それじゃあ、また。