ブルーオーシャンでしか泳げない

日本とアジアで展開中のブランド「1carat」のCEO。 創業25年のデザイン会社主宰。撮る・歌う・弾く。

ダイヤモンドネイル創世記 -5-

ダイヤモンドネイル創世記 -4- からの続きです。

 

香港から帰国すると、特許庁から「ダイヤモンドネイルの特許申請」が認可されていた。

2006年9月 ( 平成18年 )のことだった。

 

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結果的に申し上げると、およそ3年という長い時間と数百万円という膨大な費用がかかった。

何度も何度も拒絶査定を受けたが、絶対に諦めなかったのだ。

 

その特許とは・・・

 

◎ダイヤモンドをガラスの瓶に入れ、取り出す際に紛失しない物理作用的な証明と長年酸などに漬け置きしても実用に問題がないという実験検証による証明。

◎ダイヤモンドを繰り返し使用しても、溶けない・傷つかないといった耐久性の証明。

◎ダイヤモンドを透明溶剤で取り付けた際に、落下しないという物理学的証明。

 

といった内容も網羅された「49項」にも及ぶ膨大な量の内容である。

 

 

ちょうどその頃、にわかに「ソークオフジェル ( Soak Off Gel ) 」なるものが巷を賑わせていた。

ソークオフジェルとは、UVライトで硬化し、溶剤でリムーブ ( ソークオフ ) できる画期的なシステム。南アフリカで作られていたジェルだった。

 

まだ市場性はなかったが、この新しいシステムを利用することは、1caratの「新しい方向性」を示唆していた。

我々はその「CalGel ( カルジェル ) 」と呼ばれたソークオフジェルに期待した。

 

不安定で硬化強度のない「エナメルやグルー」から、このジェルシステムに硬化方法を完全シフトすることを決め、ダイヤモンドやそれを取り巻く環境などを早急に整えたのだ。

 

神様はダイヤモンドネイルに微笑んでいた。

 

日本国特許は取得が本当に難しい。

しかし、取得できればその技術発明が「国」に認められたということになる。

 

ご存知のように「ネイル」という職業は「国家資格」ではない。

それ故に技術やビジネスのあり方は「無法地帯」だ。

だから平気で著作権も特許も関係なく模倣・侵害する。

そのことに苦しむネイリストがいかに多いことか。それは業界にいる者だけが理解できる、ある種の " 闇 " だ。

 

私は「ダイヤモンドネイルの特許」を元にした資格制度の組み立てを急いだ。

それを「ネイリスト」が学び、取得することで、我々のブランドと同じ「誇り」を持つことになると考えたのだ。

 

「これで、何にも屈すること無く、若い女性が夢と誇りを持って仕事に従事できる」。

私はこのことに信念を持っていた。

 

「国家資格」と同等の「国」が認めた " 発明 " だからだ。

 

 そして、その資格制度をダイヤモンドネイル マイスターライセンス ( Diamond Nail Meister License ) と名付けた。

 

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マイスターには、サーティフィケートとダイヤモンドの付いたライセンスバッジ ( 別売 ) が与えられる

 

何度も申し上げるが、これを持っていれば「日本国」が正式に認めた " ライセンス " を持っているということになる。そして、本物 < 1carat > を扱うという信頼。

ネイルという事業に従事する以上、これ以上の栄誉はないのだ。

 

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初期のポスターデザイン

 

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初期のスカルプチュアを使ったダイヤモンドネイル。このスタイルから卒業した。
 
15世紀から「女性の永遠の憧れ」とされてきたダイヤモンド。
長い年月を経ても、その価値を越えるものは未だにない。
 
言わば、ネイルというサービスの中で、「所有する喜び・増やす楽しみ」をお客様に与えられるのは、“ ダイヤモンドネイル ” 以外にはないのだ。
 
私はこの事実をネイルアートの歴史に刻みたかった。

「このマイスターライセンスを世に広めたい。ネイリストという仕事に誇りを! 」

この気持を持って、またここからの " 新しいスタート " を心から喜んでいた。

 

<ダイヤモンドネイル創世記 -6- へ続く>

 

それじゃあ、また。

 

見切り発車で行こう

何かを開発したり、スタートする時に大切にしていることがある。

それは「見切り発車」で行うこと。

 

十分な議論をせずに決定・実施してしまうことである。 

だからプロジェクトチームはなるべく少人数が良い。

 

私は日本人であるが故に、ついつい完璧を求めてしまう " きらい " があるが、そうなるといくら時間があっても足りない。

そこそこでスタートすれば、早く結果を知ることができるし、周りからの反応も伺い知ることもできる。

それを元に、より良いものに改良していくというわけだ。

 

この「やり方」はアメリカの企業によく見られる手法で、「スピード」が最も大切だと考える合理主義ならではの " 仕事術 " である。

 

私は特にアメリカにかぶれているわけでも無ければ、憧れているわけでもない。

ただ「時間」が惜しいのだ。

だからと言って「適当」に仕事をしているわけではない。
走り出してみないと「結果」がわからないことを思慮しすぎて、商機を逃すことが最も恐いのだ。

 

どんなに使い勝手の良い製品でも、「商機」を逃しては売ることはできない。

 

かつて、パソコンのプロデュースを依頼された事があった。

それは2002年の夏の終わりのことだった。

 

嬉しかったことに、筐体のデザインと設計、アッセンブリーの手配などの生産管理まで総合的に受注したのだ。

 

通常、パソコンの開発は「2年」かかると言われているが、私は3ヶ月で「発売」まで漕ぎ着けることを目標としていた。

 

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そのデスクトップパソコンの「最大の特徴」は、フロントパネルの半分を占めるアクリルピラー。

 

アクリルの下部に取り付けた3色のLEDによって七色に発色し、

アクリルに刻まれた「UNISEX」の文字が鮮やかに浮かび上がるという

「世界最小インテリアPC」なのだ。

 

ジェフ・ベックというギタリストの、音色を変える「3つのフェイズスイッチ」からインスパイアされた。その3つのLEDスイッチの組み合わせで七色の照明をデスクトップ上で楽しむことができる。

 

それほど大きくない間接照明でも、殺伐としたオフィスの雰囲気がガラリと変わる。

たったこれだけで、働く人々の「仕事に対する生産性と発想力」も劇的に向上するのだ。

 

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松嶋菜々子福山雅治主演のフジテレビ系ドラマ「美女か野獣」( 2003年1月9日〜3月20日 ) の中の「テレビ局内」に配置された、すべてのPCに採用された。

 

ドラマのストーリーの中で「局の停電シーン」があったのだが、この照明だけが点灯していて視聴者からクレームがあったとか無かったとか・・・(笑)

 

アクリルピラーをスチールの筐体に組み込むという「無謀なコンセプト」だったが、アイデアを出したのは " 私 " だ。

 

テレビの放映に間に合わせることはもちろん、秋葉原の各ベアボーンショップから3000台の発注も受けていたので、製造プロセスの見切り発車は " 絶対条件 " となった。

 

時間が惜しいこともあって、開発中はチームのメンバー達が「製品チェック」を夜を徹して行っていた。

 

 

そんなある日、私の携帯が鳴った。

午前1時頃だった。

 

「望月さん、大変です! UNISEXが火を吹いています!」( 笑 )

電源ユニットの不良による、発熱からの発火だった。

 

至急、台湾の部材メーカーに確認を急いだのだが、結果的に別の電源ユニットにしなければ逆に間に合わない。

骨子の設計から変更を余儀なくされた。もう変更の嵐だ。

 

そんな紆余曲折はあったが、収録の日も迎えることができ、無事店頭にも並んだ。

全数の完売をもってプロジェクトは解散となったが、その後「アキバ不況」と言われる歴史的な事件が起こった。

 

 

2003年3月。ベアボーンショップは軒並み倒産した。

 


T-ZONEAKIBA PLACE、ベアボーン担当部長からの電話が鳴った。

「望月さん、すみません。うち閉店になります・・・」

 

その時、T-ZONEの新しいPCのプロデュースを依頼され、設計を行っていた最中。

部長は涙声だった。私も泣いた。

 

ascii.jp

 

もし「見切り発車」的な手法で設計・製造していなかったら・・・。

UNISEXというインテリアPCは世に出ていなかった。

今になって言えることだが、あの2003年が最後の「商機」だったのだ。

 

秋葉原はもう、かつての「アキバ」ではない。

時代が移り変わるのも仕方のないこと。

 

「商機」ってやつは、予測しようと俯瞰で見ようと誰もわからない。

だからこその「見切り発車」なのだ。

 

 それじゃあ、また。

 

 

 

 

 

緑の麻薬にはまっていた頃

「今始めないと、先に上手くなっちゃうよ。」

従兄弟のコウちゃんの一言で、21歳の時に渋々始めた。

 

私は「ゴルフ」がとても嫌いだった。

幼少の頃、父親が自分と遊んでくれない「理由」がそれだと思っていたからだ。

 

父親は、夜になると裏通りで「タバコのフィルター」を路面に立て、

それをティーがわりにして素振りに勤しんでいた。

昭和40年代のその光景は、セピア色に霞んで思い出される。

 

ゴルフばかりの人生だった。

それが子供心に何かネガティブなイメージを持ってしまっていたのだ。

 

その親父に言われた遺言のような一言。

「5月と6月は借金してでもやれ」。

そのくらい、この季節のゴルフは気持ち良い。

 

「緑の麻薬だ」

親父はこうも言っていた。

その季節にコースに出かけると、親父の声が聞こえてくる。

 

ゴルフをしなくなって、1年半が経とうとしている。

太平洋アソシエイツのメンバーになってからは、

年間100ラウンドが当たり前だった。

 

お陰で目指していたシングルにもなれた。

100万分の1の確立といわれる奇跡「アルバトロス」も取れた。

毎週ゴルフしてても2000年くらいかかるとか・・・。

 

でも「ゴルフ以外にやれてないこと」が沢山あるから、今は " おやすみ " してるだけ。

また「緑の麻薬」が恋しくなったら、コースに戻るつもりです。

 

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ちょっと デブ (笑) カッコイイ!

 

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真ん中に描かれている女性・・・ん? どっかで見たことあるな (笑)  

 

それじゃあ、また。

 

ダイヤモンドネイル創世記 -4-

 < ダイヤモンドネイル創世記 - 3 - からの続きです>

ダイヤモンドネイル創世記 -3- - ブルーオーシャンでしか泳げない

  

❏ グローバルな視点で考えたこと

 

私は常々、1caratは「海外」でも展開出来ると考えていた。

もちろんネイルというサービスの市場性や協力企業があってのことだ。

まだ試験段階とは言え、サロンもオープンしたことで方向性は見えていた。

 

コツコツと書き上げていた「技術マニュアル」。

これはダイヤモンドネイルの技術を「国際規格」として、世界中のネイリストに教育していくことを前提として書き綴っていた。

 

技術や規格を統一する努力は、それを初めに開発した会社が行うべきだ。

需要が広がった際、技術がマチマチなことで損害を被るのは「お客様」になる。

ここに倫理を示さず、どこに示すというのだ。

 

これらを推進していくには、模範となるネイリストも各地に必要だったため、すでに業界紙などで「募集」も開始していた。

 

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初期のマニュアルの一部を抜粋 ( 2004年作成 )

 

 

❏ 香港でのプロモーション

 

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撮影 by myself
 

香港のネイルサロン " Nail Nail " は、香港国内で当時20店舗を展開していた大手チェーン。

海外に、今後の模範になるような「国際提携店」を作りたいと、2004年の秋より何度もプロポーズをしていた。

 

Nail Nail からプロモーションの企画書が送られて来たのは、2006年3月。

春の匂いを感じ始めた心地よい夜の事だった。

 

「 大好きな香港で 飲茶が食べられる  1caratをプロモーション出来る !  」

 

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 撮影 by myself

 

香港は1997年に中国へ返還となった。

香港らしさが失われていく事を懸念していたが「特別行政区」となったために、政治体制の変更は50年間しないと約束された。

かつて訪れたことがある「九龍城」は、老朽化が理由で残念ながら取り壊されたが、香港国民の " 誇り " が「秩序」とその「歴史」を守り、昔ながらの香港もまだ残されている。

 

国土面積としては確かに狭い。

しかし、その限られたエリアにアジアの「 粋 ( すい ) 」が凝縮されている、素晴らしく魅力的な都市。

奥がそこはかとなく深いのだ。

 

 

香港行きは個人的にも楽しみだ。

プロモーションすべきことも決まっていたし、今のベストを香港で見せたい。

 

模範ネイリストの応募で「エデュケーター」候補だった天白麻耶さんにデモンストレーターを。

通訳は、中国・成都で同行してくれた陳さんに依頼した。

 

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セミナールームには100名近い香港のネイリストやメディアなど、沢山の人が詰めかけた。「 Nail Nail 」のプロモーション力は相当なものだ。

 

 

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プロモーションの後、Nail Nail のスタッフに個別講習を行った。
2年越しのプロポーズが漸く実を結んだ瞬間だ。 

 

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その時の様子は、後に発刊された「香港の美容雑誌」にも取り上げられた。

 

 

❏ 光があれば陰がある

 

私は悩んでいた。

それは、ダイヤモンドの固定した後の「脆弱性」であった。

 

エナメルだけでコーティングするには限界がある。

「アクリル3D」や「埋め込み」にばかり、頼ってもいられないデザイン性の問題もある。しかし、今のところこれしか方法がなかった。

 

経営者に悩みが無くなることは、経営を辞めるまではない。

しかし悩みがあるということは、前進している証なのだ。

分かっていても悩んでいる間は、苦しい。

苦しいから何とかせねばと藻掻くのだ。

 

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PSグループのCEO Ms. Lizaと担当のMs.Moon。

 

PS Groupはネイルの他にもヘアサロンを20店舗以上経営していた。

1996年からたった10年で香港のNo.1 ビューティー企業に成長させたのだ。

 

「 1caratの " 成功 " は Solving the adhesion problem  にかかっているわね 」

PS GROUP の CEO、Ms. Liza から一言こう言われた。

 

要するに「ダイヤモンドを固定した際の脆弱性を解決しろ」ということだった。

 

実は、Ms. Lizaもサラリーマンからの独立でここまで会社を大きくした。

その悩みは痛いほどわかるとも言ってくれた。

彼女は宝石が好きだったので、" 1carat " に愛情を持って接してくれていたのだ。

 

1caratの周囲からは「香港での活動」が輝いて見えていたはずだ。

しかし、私は浮かれてはいなかった。

半ば落ち込んだ気持ちで香港を後にしたのだ。

 

<ダイヤモンドネイル創世記 -5- へつづく> 

 

それじゃあ、また。

ダイヤモンドネイル創世記 -3-

 < ダイヤモンドネイル創世記 - 1・2 - からの続きです>

上記リンクよりそれぞれのページ に飛ぶことができます

 

 

❏ 有名になる過程の苦悩とは

 

あんなに望んでいたテレビや雑誌に掲載されること。

なのに、その度に感じる「違和感」。

これに苛まれた。

 

手放しで喜んでいない自分に気付く。

「何だか嬉しくない」のだ。

 

それは自分が理想とする「ビジュアル」ではなかったからだ。

  

◎ ダイヤモンドが逆に ( 尖ったほうが上 ) 配置されたりする

◎ アートそのものに「ただ付けました」感が否めない。

 

ダイヤモンドには、キューレットと呼ばれる尖った部分がある。

これはブリリアントカットに必要な要素。このシェイプじゃないとダイヤが輝くことはない。

 

これを完全に逆に取り付けて撮影する雑誌もあったのだ。

「これじゃあ パンクかヘビメタ 逆さまじゃないか・・・」

背筋が寒くなったのを今でも覚えている。

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実はダイヤモンドという石の正体は「宝飾業界以外の方」には詳しく知られていない。

それに気付いたのは、1caratが世間に認知されようとしていた時だった。

 

ラインストーンが全盛の時代とは言え、「ダイヤモンドの底がフラット」だと思っていた方がどれだけ多かったか。

ダイヤモンドが、なぜ比類なき輝きを放つのかという「理由」についても同様だった。

 

ダイヤモンドって実はあまり詳しくは知られていなかったんだ・・・。

 

このまま取扱店舗を増やして、更に商品を売り続けることは、もちろん出来る。

売上は上がっていたし、お客様も喜んでいた。

 

しかし、1caratの商品を使った後の「仕上がり」に " 私 " が納得できないし、せっかく買って頂いた方々になんだか申し訳ない。

 

このままではいずれは廃れる・・・それより「世界初」とか「唯一無二」などというキャッチコピーに対して、このビジュアルはいくらなんでも恥ずかしすぎるのだ。

 

 

苦渋の決断ではあったが、販売を「中止」とした。

一般への販売を無期限停止としたのだ。

 

経営は苦しくなることも分かっていたが、自分の意に反することはしたくない。

 

直ちにブランドの進むべく道を正したかった。

よくわからないまま、技術者になってくれる人間も探した。

「ネイルサロン」なるものを早急にオープンさせるための準備を進めたのだ。

 

 

❏ 美しいダイヤモンドネイルへの道

 

「美しいダイヤモンドネイル」にするために技術を研鑽し、サービスの内容も自分が納得できるものとしたかった。

結果がどうなろうと「道」はこれしかない。

 

 

その時に会社が入っていたビルの「路面」フロアが空いていた。

2005年1月。そこに今のサロンの原型となる「ダイヤモンドネイル専門サロン」を作ることにした。

 

「1carat Nail salon & Gallery ワンカラットネイルサロン&ギャラリー」の誕生である。

 

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「専門」というのはブランディングに欠かせない要素のひとつ。

専門性が高いほうが、お客様にとっても「行っていいのかどうか」の判断基準になるからだ。

受ける側としても「お客様から求められるサービス」が、お店の " コンセプト " と違うことで起こる相互トラブルがないので安心だ。

 

とかく「何でもできます」と謳いたくなるのが人情ではあるが、その打ち出し方は、ともすれば「どれも中途半端」と捉えられかねない。

レッドオーシャンで「価格競争」に巻き込まれるパターンは往々にしてこの形なのだ。

 

 

 ❏ 技術の確立を目指して

 

マニキュアを施すサービスを提供しながらも、ダイヤモンドネイルの技術を確立させるための研究が続いた。

 

当初は、ベースとなる「アクリルやネイルエナメル」と、固定するための「グルーやレジン」を駆使した技術だった。

これをレポートにまとめ、技術マニュアルをコツコツと作成した。

 

実は特許を取得するために、すでに出願をしていた。

特に日本国特許は " 先願主義 " である。要するに「先に出した者勝ち」。

認められた日よりも出願日が優先されるのが、日本の特許制度の特徴なのだ。

これに比べ、アメリカの場合は「認められた日」が優先となる。

 

新しい商品や技術を「特許」として登録することは、他からの「特許侵害訴訟」に対する最大の防御

こう、楽器業界から学んでいた。

 

そんなある日、WEBサービスの外注を担っていただいていた中山さんから声がかかった。

 

「中国の展示会にでませんか?」 

それは広島県の産業振興会がアシストしている、中国・成都での「ジャパン・パビリオンブース」への誘致だった。

出展費用もかからず、旅費だけで経験が積めることもあって、二つ返事で承諾したのだ。

巨大な中国のマーケットで、1caratの「立ち位置」をトライアルで俯瞰 ( ふかん ) できる。これをある意味の「チャンス」と捉えた。

 

2006年5月。我々は「パンダの聖地」四川省成都へと飛んだ。

 

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基礎小間にポスターを配置しただけの簡易ブースで、ダイヤモンドネイルのサービスを行った。

 

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アイスティーを頼んだら、冷たい水にティーバッグ + 粉ミルクだって。

とても飲めたもんじゃないぜ。  WOW SO NICE !

 

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成都の繁華街にネイルサロンがあったので「飛び込み営業」(笑) 。
マニキュアとアクリルネイル ( 中国語で水晶と書く ) だけでもこの人気ぶり。

 

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突然の訪問にも関わらず、サロンのオーナーにデモンストレーションを許可していただいた。謝謝 ! 

通訳の陳さん、元気かなぁ。

 

完全なるトライアルに終わったが、発展途上の中国ネイル市場にも学ぶべきところはあった。

 

私が理想とするダイヤモンドネイルへの道は遠い。

 

<ダイヤモンドネイル創世記 -4- へつづく>

それじゃあ、また。

 

多摩川浅間神社へ

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田園調布一帯の氏神様である、多摩川浅間 ( せんげん ) 神社 ⛩  へ。

 

この神社は、日本神話において一番美しい存在であるという神様 " 木花咲耶姫コノハナサクヤヒメ ) " がいらっしゃるので、是非ご挨拶したいと思っていたのです。

本殿は女性の神様が祀られている神社らしく、綺羅びやかで豪華でした。

 

境内に入ると、やはり俗界とは一線を画した「神聖な場所」だということがわかります。澄みきっていて凛とした空気。体感気温が2℃ほど下がったような感覚です。

 

霊峰富士山ゆかりの神社が、うちから車で20分程度のところにあるなんて、行かない理由がありません。

 

実は財布を新調したので、この財布から初めて使うお金を「御賽銭」に。

財布の色は「金運が上がる」と言われている、私が一番好きな色です。

さぁ、どうなることやら (笑)。

 

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この頭より一回り大きい「水晶玉」。

存在感が凄い。
これに触れることも目的のひとつでした。

 

石盤を動かし、自分の干支が彫られている部分を富士山の方角に合わせ、祈るというものです。

太陽の光に透かすとエネルギーが湧いてくるのがわかります。

 

この先の展望台からは富士山が見えるのですが・・・今日は雲に隠れて見えませんでした。

 

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この水晶玉の台座の柱には、私の守護神「龍」が彫られていました。

 

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この神社には、4つの境内社もあって、それぞれの眷属 ( けんぞく ) が来られていると言います。

 

おみくじは「末吉」。

まぁまぁ歓迎していただけたのかな?

この神社の周りには、前方後円墳や公園もあり、お散歩にも良いですね。
おもしろいカフェも2つ見つけたので、今度はランチがてら出かけてみたいと思います。

 

それじゃあ、また。

ダイヤモンドネイル創世記 -2-

 

pants-gaku.hatenablog.com

 < ダイヤモンドネイル創世記 -1- からの続きです。上記リンクより - 1 - へ >

 

クリーニング用のリムーバーは「揮発しない成分」の溶液が条件となった。

それ相応の時間、浸け置きするには「揮発」しては意味がないからだ。

 そしてダイヤを入れるケースは「ガラス製」。

実は、見た目のイメージよりもダイヤモンドは " 軽い " 。

 

1カラット分で、なんと「0.2g」しかないのだ。

なので「重さ」としても " ある意味の高級感 " を与えたかった。

 ダイヤを受け取った際に「軽っ!」と感じては、そのものの価値も軽く感じる。

人間の心理とはそういうものだ。

 

ブランド名は紆余曲折あったが「 1carat ( ワンカラット」に落ち着いた。

女性の「憧れ」の対象であるダイヤモンドの重さを表す単位である「carat ( カラット )」を含ませたブランド名にしたかったからだ。

 

当時はいわゆる「デザイン会社」だったし、オフィスも会社然としていたので「サロン」をオープンして、ユーザーにサービスするという発想はまったくなかった。

 

商品としてデパートなどに置いてもらい、ダイヤモンドはユーザーが自らセットするという、どちらかというと化粧品ブランド的な位置づけだったのだ。

 

当時、ネイルアートは女性が自分で嗜む ( たしなむ ) もの。

それ故の発想で商品を開発した。

 

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まず、1carat分のダイヤモンドを入れたパッケージを製品化した。

1カラット分の0.003ct が300石入った「grande ( グランデ )」というネーミングのキットだ。やっぱりイタリア語なのね (笑)。

 

トップコートと高級感のあるフェイクファーのケースに入ったセットの価格は、当時230,000円とかなり高額であった。

 

「ネイル界のロールス・ロイス

この " 位置 " を目指したのだが、広告宣伝をネイル雑誌だけにしていたことで残念ながら販売数は伸び悩んだ。

 

正直、迷走していた。

何が正解なのかは知る術 ( すべ ) もない。

 

 

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これに慌てた私は、サイズダウンした「baby one」を急遽ラインナップ。

これを機に本格的に取扱店舗を探し、程なく「SONY PLAZA」と「東急ハンズ」が取扱店舗として名乗りを上げたのだ。

 

0.003ctのダイヤモンドが「20石」入ったこのシリーズは・・・

 

爆発的に売れた

 

国内のみならず、メールだけでの営業で「香港」「オランダ」「エストニア」「スロベニア」などヨーロッパへの輸出も行ったのだ。

 

そして日経MJに掲載されたことをきっかけに、様々な雑誌にも掲載されるようになった。

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伝説の雑誌、あの " ニキータ " に、baby one を1ページまるまる掲載していただいた。本文はさすがの過激路線。さすがの切り口にはただただ関心するばかり。

 

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漫画にも登場したことがある。

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漫画家の「あやせ理子」さんには、わざわざ取材にも来て頂いた。

 

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「爪が伸びたらダイヤは捨てる」と思う人もいた (笑)

 

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これは美化された私 (笑) どうも・・・餅月です。

ハムの人ダイヤモンドネイルの人です (笑) キラッ☆

 

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ええ。ネイルには本物じゃないとね。

 

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スペック完璧!

 

「王様のブランチ」や「おはよう朝日です」「めざましTV」「ミヤネヤ」、「NHKのニュース」や「地方局の情報番組」など、数え切れないくらいのテレビ番組で放映。

ラジオでは、憧れの「吉田照美のやる気MANMAN」( 文化放送 ) で紹介された。

実は、小俣雅子のファンだったのだ ( 笑 )。

 

そして、これから更に忙しくなる気配を感じたのだが・・・・・。

 

<ダイヤモンドネイル創世記 -3-へ つづく>

 

 

それじゃあ、また。